∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡復興の立役者≡≡

新たに何かを作り出した人々の勇気

 まず片づけと復旧。そして復興へ。大災害にあった街が蘇ろうとする時に必ず通る道という事実は言わずもがなでしょう。
 そこに暮らす人々が、支援に駆けつけた人々の手を借りながら傷ついた街を再生するということも同様に言わずもがなの事実です。

 ただし、復興しても元通りの街は戻ってこないという現実と真正面から向き合わなければいけないという条件付きですが。

 大怪我から回復する時、何らかの大きなダメージから立ち直ろうとする時。どんなダメージでも元通りの姿に戻ることはありません。必ず傷跡が残ったり、新たな舞台を築いていたりするものです。
 何が何でも“元通りを目指す”のは、国宝の復元のような限られたものしかないと思います。

 実は、この復興への道程が目指すところは「生き返ること」だという事実は忘れられがちなことです。判ってはいても“元通り”になりたいと思うのが人間のサガなのでしょう。

 神戸もそうでした。

 記憶の糸を手繰りながら元々あったものを思い浮かべ、失ったものを取り戻そうとし、ついに戻ってこないという現実を受け入れる。そんな手順を踏んだ後、ようやく新たな地平に目を向けることが出来る──。

 混乱しきった気持ちに整理をつけて復興に向けて歩み出す時にもっとも必要なことは、逃げることなく前進しようという“勇気”と、けっして諦めないという“決意”、そして、どんな辛いことと直面しても泣き崩れることなく“笑顔”で対処するということではないかと僕は感じています。

 神戸の人たちもそうだったと思っています。東北や熊本や広島の人たちも同様ではないでしょうか。
 復興して新たな街として歩むようになった神戸。今、この街があるのは試練の時を乗り越えようとして実現させた人々がいたからだと思っています。

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