∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 忌まわしい記憶が蘇った事件 ≡≡

香港の水上レストラン
『ジャンボ・キングダム』の沈没

 もう30年近く前の話だ。その時私は家族で香港に遊びに行っていた。旅の最終日、記念になればと、世界的にも有名だった水上レストラン『珍宝王国(ジャンボ・キングダム)』に自分で予約して出掛けた。私以外は全員が始めての香港だったので、日本風の高級中国料理で出てくる北京ダック、フカヒレ、魚の蒸し物などのメニューを頼んだ覚えがある。

☆☆☆☆☆☆☆

▽そして、私はクレジットカードで支払いした。
▽そして、私のスキミングされた。
▽そして、私のクレジットカードは偽造され、パリで使われた。
▽そして、クレジットカード会社の調査員は教えた覚えのない会社の電話番号に電話をしてきた。

「あなたは○月○日に香港のジャンボ・レストランでお食事されて、弊社のクレジットカードで○○香港ドルをお支払いになりましたね。
「あなたは○月○日から○月○日まで香港の□□ホテルに滞在していましたね。そして帰国後は日本から出国されていませんね」。
「あなたのカードはスキミングされたあと、パリで限度額いっぱいまで使われました」。
「すでに当方であなたが使ったと確認がとれたもの以外、すべての支払いを停止しました。あなた宛の請求書も新たなものに書き換えました」。
「この電話以降、お手元のカードは使えなくなります。今すぐハサミでふたつに切ってください。新しいカードは1週間以内に郵送します」。

 この電話で私が発した言葉は「はい、そうです」、「エッ、そうなんですか」、「アッ、そうですか」しかない。落ち着いてクレジットカード会社の調査部にどれだけの調査権が与えられているのかを聞き返すような余裕もなくなっていた。
 民間会社の調査部が登録していない電話番号に突然電話を掛けてきて、国しか知らないはずの出入国記録を語り始め、ついにはクレジットカードをハサミで切れという。この時以外、こんな想像を絶するような経験をしたことはない。システムが厳重に管理されるようになった今では絶対に起こらないだろう。

☆☆☆☆☆☆☆

「経営破綻に瀕して約2年間アバディーンに係留されていた『ジャンボ・キングダム』が行き先非公開で曳航されていた途中、嵐のために南シナ海で沈没した」というニュースを知った時、私の脳裏には忌まわしい記憶だけが蘇った。

 今回の海難事故は、どう考えても、解体費用の節約以外のナニモノでもないだろう。運営会社が香港から数百キロ離れた沖合いなら後腐れなくオサラバ出来ると踏んだに違いない。この後、暴風雨による沈没という名目で海難保険を請求するのだろう。

▽そして、私のスキミング体験も海の藻屑と消えた。家族の想い出も水深1000メートルの海底に沈んだ。

▽「なんだかなー」、である。
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[season12/0622/25:00]
夏至』‥一年で一番昼が長い時季。太陽のエネルギーが満ちる頃
photograph:SOUJI-JI/tsurumi, yokohama city
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≡≡ 『夏至』 ≡≡

太陽から降り注ぐエネルギーで
すべての営みが
活発に動き続ける時季

 二十四節気の『夏至』。一年で一番昼の時間が長い時季がやってきた。

 天文学的には6月21日が一番長い日で、その前後は一番長い時季ということになるが、体感的には「明るい時間が長いなあ」程度にしか感じないことも多い。江戸時代に著された『暦便覧』でも「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」と陽の長さだけを取り上げている。

 日照時間の短い北欧やバルト三国、あるいはイギリスでは太陽の聖なる力が最高潮に達する特別な日と位置づけられ『夏至祭』として祝われている。

 日本では、農作業で忙しい時期ということもあり、古くからこの時期の民間行事は少なかったようだが、陽の光が満ちていることに違いはない。
 ムシムシとした梅雨真っ只中だが、晴れ間を見逃さずに陽の光が与えてくれるエネルギーを存分に受け止めるように心掛けると、後に来る実りの時の風景が変わるかもしれない。
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[season12/0621/24:10]
夏至』‥一年で一番昼が長い時季。太陽のエネルギーが満ちる頃
photograph:SOUJI-JI/tsurumi, yokohama city
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≡≡ これも究極の選択の危機? ≡≡

アメちゃん切れた。
タバコが増える。

 寝る前の小一時間、私は毎日このブログを書いています。アメちゃんを舐めながら。

 以前は一日の中で一番喫煙率の高い時間でしたが、少しは節煙をと思い、代わりに選んだのがアメちゃんでした。
 その“大切な”アメちゃんを今夜は切らしてしまったのです。大変です。このままではタバコに手が伸びることは確実。きっと明日の朝は喉がガラガラになっていると思います。

 ニコチンを減らすか、糖分を増やすか。

 この究極の選択の答えは「糖分を増やす」でした。あまり極端なのもいかがなものかと、ひと晩でアメちゃんは3個まで、タバコは1本までと決めていますが。
 私にとっては極めて重要な決断でしたが、おかげでタバコの本数自体もグッと減ったので、きっとよかったのでしょう。

 ちなみにアメちゃんの銘柄などにこだわりはありません。強いて言えば、スーパーで一番安いものを手に入れることくらい。たっぷり甘くて、そこそこいい香りと味さえ付いていればヨシとしています。
 『榮太樓のあめやえいたろう』でなければ嫌だとか、『復刻版のサクマドロップス』がいいなどというワガママは言いません。もちろん『チュッパチャプスの花束やツリー』を見ながらニンマリすることもありません。

  マッ、それはそれとして。タバコが増えないうちにブログを終わらせて寝ることにします。おやすみなさい。
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[season12/0620/24:50]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
末候‥梅子黄(うめのみきばむ):梅雨本番。梅酒を仕込む頃
photograph:SHINOBAZU POND:ueno, taito city
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≡≡ やっと一段落 ≡≡

脳裏に浮かんだ旧友のひと言

『終わらない仕事はない』

 終りが見えないような仕事に取り組んでいる時、いつも思い出す言葉があります。もう30年以上前に聞いたひと言なので、いつもはホコリを被って眠っているくせに、ここぞという場面になるとキラリと光りながら浮かび上がってくる言葉です。

 今日正午過ぎ、ここ数週間、手探りの状態から始めた仕事(とはいっても収入にもならないし、形になるかどうかも未定ですが)がやっと一段落。終わった時は思わず声を上げてしまいました。「よし、終わった。パチパチパチ」。

 そんな解放感に浸っている時、突然脳裏に浮かんできたのが『終わらない仕事はない』だったのです。
 30数年前、途方もない仕事量を限られた時間内で終わらせないといけない重大な仕事を任されてプレッシャーで押しつぶされそうになっていた時、彼は穏やかな顔つきで、この言葉で私を落ち着かせてくれました。

 今日一段落した仕事(取り組み、それとも野暮用?)に価値があるのかと問われると否定的にならざるを得ません。少なくとも、30数年前の仕事と比較するとその重要性には天と地(いや、地下数10メートル?)ほどの差があります。ですが、一段落した時の解放感はまったく同じ。肩に伸し掛かっていた重圧が一気に消えたような気持ちです。

 これで、スッキリとした気持ちで新しい一週間を迎えることが出来そうです。
「今頃アイツはどうしているかな」と想像しながら眠りにつくことにします。おやすみなさい。
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[season12/0619/24:40]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
末候‥梅子黄(うめのみきばむ):梅雨本番。梅酒を仕込む頃
photograph:SHINOBAZU POND:ueno, taito city
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≡≡ 信じすぎないのがイチバン ≡≡

食べログ案件は
ユーザー側の
リテラシー欠如も遠因

 誰かとどこかで美味しいものが食べたいと思った時、ついつい参考にしてしまうのがグルメレビューサイトだ。ミシュランのような権威筋の情報はともかくとして、カジュアルな感覚で利用したい時や、評価を確認したあとそのまま予約したい時には、どうしても誰もが評価を書き込めるサイトを参考にしがちだ。私も何かの時は複数サイトで検索しながら利用している。

 そんなサイトの中でも『食べログ』はもっとも馴染みの深いサイトだろう。

 その『食べログ』4が、飲食店が訴えた「予告もなく評価が下がったため売上が減少した」という訴訟で敗訴した。
食べログ』側は判決に対して控訴するようだが、それとは別に新たなアルゴリズムの構築も必要になるのは確実だろう。

 しかし、今回の裁判で私は「信頼できると思っているサイトが発信する情報は、第三者が発信する情報と比較されることなく、鵜呑みにされる可能性が強い」ということを改めて確認した。

 日本にはグルメレビューサイトがいくつもある。当然ながら、同じ店舗に対しての評価はサイトによって違う。どのサイトを見ても高評価という店舗もあれば、大きな差のある店舗もあるわけだ。
 もし誰もが複数サイトでリサーチしていれば今回のような「評価点論争」は起こらなかったのではないだろうか。統計学上のアルゴリズムを基礎にして評価点を導き出している『食べログ』はワルモノではなく、自らを過信し過ぎただけのようにも思えてくる。

「情報を鵜呑みにしない」というのは基本中の基本。特に誰もがアクセスできるサイトの情報を“裏取りなし”で信じるのは軽率すぎる。信じられる情報よりもガセネタのほうが圧倒的に多いという事実を常に意識するのもイマドキの常識ではないだろうか。

 コロナ禍で飛び交ったガセネタや、ウクライナ情勢の真贋などには敏感なのに、こと飲食店選びに関しては無防備というのは通用しない。
 今回はグルメレビューだったが、このジャンル以外で評価や表示順位の前後が伴うサイトの使い方も合わせて見直して“賢いユーザー”を目指すことも求められているのではないだろうか。
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[season12/0618/25:30]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
末候‥梅子黄(うめのみきばむ):梅雨本番。梅酒を仕込む頃
photograph:SHINOBAZU POND:ueno, taito city
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≡≡ 気忙しく過ぎていった一週間 ≡≡

気持ちは前のめり、体力は年相応

──あれもこれもと次々やるべきことが見つかり、それをひとつずつクリアしていたらもう金曜日の夜。宿題をやり終えるには週末の自由時間しかない。気持ちだけが先走りしているのは若かった時そっくりだけど、体力は年相応という現実と折り合いを付けなければ──

 こうなるとは思っていませんでしたが、週末を迎えて一週間を振り返ってみると「とにかく気忙しかった」という記憶しか残っていません。同時に、クリアしても目に見える成果は残らないと分かっているのに、やけに前のめりになっている自分にも驚いています。

 他人事のようですが、今は「どうしてここまで前のめりになってしまったの」と自問自答しています。
 せっかく前のめりになっているのだから最後までやり切らないと、ここまでアタフタしてきたのが無駄になってしまう。こんな気持ちで週末を迎えることになるとは予想外でしたが、これも何かの巡り合せ。やるべきことはやり切ります。
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[season12/0617/24:20]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
末候‥梅子黄(うめのみきばむ):梅雨本番。梅酒を仕込む頃
photograph:SHINOBAZU POND:ueno, taito city
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≡≡ いよいよ梅雨本番へ ≡≡

『梅雨』とはよく言ったもの

 早摘みの青梅と氷砂糖、そして焼酎など好みのアルコールで梅酒を作る。アルコールを受け付けない私には無縁の世界だが、好きな人にとっては梅雨時分の楽しみのひとつだろう。
 ちなみに梅干し作り用は実が熟れて赤くなった頃が収穫期。あと2~3週間先のことになるはずだ。

 季節の移ろいを細かく表す七十二候では、今日からの5日間は「梅子黄(うめのみきばむ)」と言われる芒種の末候。七十二候のなかでも、これほど季節感と名称が合っている時季も珍しい。梅の雨とはよく言ったものと感心してしまう。

 ところで、天気予報では沖縄地方がそろそろ梅雨明けを迎えそうだと伝えていた。沖縄が梅雨明けすると、いよいよ九州や本州が梅雨本番を迎える。今年こそ大雨による被害が最小限で収まればいいのだが。こればかりは、文字通り天気次第。少なくとも人災だけは避けたいものだ。
 とはいっても、この時期に降る雨は秋に収穫を迎える米にとっては成長を促す大切な要素。もちろん夏から秋に掛けて咲き誇るはずの植物にとっても同様だ。雨が続くとうんざりしてしまうと邪険に扱うのも考えものだ。

 せっかくの季節だから“雨と友だちになる”くらいの気概を持っていたい、のだが…。
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[season12/0616/24:30]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
末候‥梅子黄(うめのみきばむ):梅雨本番。梅酒を仕込む頃
photograph:SHINOBAZU POND:ueno, taito city
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≡≡ 時代を牽引したブラウザ ≡≡

インターネットエクスプローラー
今のインターネット社会を築いた

 ついにその時が来た。

 Windows95がデビューした時からバンドルされていた『インターネット・エクスプローラー(IE)』のサポートが終了すると聞いた時、私は「とうとうその時が来たか」と思わず独り言を囁いてしまった。
 Windows95がリリースされた27年前は、まだプロバイダ環境が整っておらず、インターネット接続は非常に高価だった。そのため、接続にはある種の覚悟が必要だったが、それでも「これが時代を変える」と興奮したのを覚えている。

 そもそも、1995年の年末というとインターネットなどという未知の“道具”に触れただけで、未来への玄関口にいると感じ、興奮した時代だったのだ。
 当時、Windows95にバンドルされていたインターネット・エクスプローラーは時代を変えるソフトウエアとして圧倒的なシェアを誇っていた。ほかにネットスケープ・ナビゲーターなども存在していたが、一般向けブラウザとしてはIE以外は考えられなかった。当時、アップルのMacintoshにはネットスケープ・ナブゲーターが搭載されていたが、Windows系と比べると圧倒的なシェアの違いがあったため、自動的にインターネットと言えばIEを指すようになっていったのだ。

 サファリやモジラがデビューし、グーグル・クロームが登場し、マイクロソフト・エッジがバンドルされるようになった頃から、いつかはIEのサポートが終了する時が来るのだろうと覚悟していたが、いざその日が来たとなると、やはり感慨深いものがる。
 正直なところ、現在私はIEを使っていない。エッジも使っていない。グーグルクロームが登場してすぐ乗り換えてしまったのだ。
 常に攻撃を受け続けているというセキュリティへの不安、タブが使えるという便利さ、表示スピードの速さなどすべてに渡ってChromeIEを上回っていたのだ。
 それでもインターネットの可能性と楽しさと怖さを教えてもらったIEには特別な感情がある。
 外国の情報といえば、航空便で届く新聞や書籍や雑誌と電話と電報しかなかった時代に、IEはその場で無数の情報とアクセス出来る環境を作り出した。

 インターネット全盛の時代はIEが作り出したと言っても過言ではない。

 理論上は、サポートが終了しただけなので意地を張って使い続けることも可能だろうが、そこまで固執することもないだろう。IEが情報化社会を築き上げたという輝かしい事実は永遠に語り継がれるのだから。
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[season12/0615/25:00]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
次候‥腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる):里に蛍が飛び始める頃
photograph:IRIS:horikiri-shoubuen, katsushika City
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≡≡ 梅雨寒の一日 ≡≡

これもまた
季節の移ろい

 我が家の猫たちは雨の日や寒い日は外に行こうとしません。その代わり、気持ちよく晴れた日は食餌の時間以外は早朝から出掛けたまま帰ってきません。気まぐれに出掛けても、すぐに帰ってきます。
 なかには出入り口で出かけるかどうか思案した挙げ句戻ってくるものもいます。私が外出から戻った時に出掛けた時と同じ場所、同じ姿で寝ているものもいます。

 今日はそんな一日でした。ゾクッとするような梅雨寒の中を動き回ったのは私だけ。彼らはお気に入りの場所で心地良く過ごしたようです。

☆☆☆☆☆☆☆

 梅雨寒という言葉が昔から使われていたことからも分かるように、梅雨入りして間もない頃は急激に気温が下がる日があるものです。天気予報では明日も寒いようですが、マッ、これも季節の移ろい。2カ月前までお世話になっていた服に再登場してもらってしのげば済むことです。

 寒かったり、ジメジメしたりする時期を過ぎれば“ニッポンの夏”がやって来ます。高温多湿でもけっこう。熱気がズシンと身体にのしかかってきてもけっこう。一日に何度もシャワーを浴びることになってもけっこう。

 季節を感じることのできる心の余裕があるだけでも幸せというものです。
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[season12/0614/24:50]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
次候‥腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる):里に蛍が飛び始める頃
photograph:IRIS:horikiri-shoubuen, katsushika City
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≡≡ コロナ禍を忘れずに ≡≡

ようやく
東京の新規感染者が
960人まで下がった

 今日、ようやく東京の新型コロナ新規感染者が3桁まで下がった。960人。首都圏3県や沖縄なども下がっている。比較的人数が少なくなる月曜日だといえ、まずまずの推移と言っていいだろう。

・一進一退を続け行方が見えなくなったウクライナ戦争と、それに起因する世界的な食糧危機の恐れ。
・遺骨が見つかったことで少女の死が確認された山梨県で起こったの失踪事故。
・不正だらけで評価のしようがない遊覧船沈没事故。
ウクライナとコロナ禍を端緒とする異常なほどの諸物価高騰。
・八方塞がりに陥り、続けるしか方法がなくなってしまった日本の低金利政策。
・国力の低下を各国の為替ディーラーに見透かされてしまった円安。
・よくぞこれだけワルがいたものだと呆れてしまう持続化給付金詐欺。
・具体的な指標を示さないまま見切り発車した侮辱罪の厳罰化。
・進化に追いつけず、やりたい放題になっていたターゲティング広告への規制にようやく乗り出した改正電気通信事業法の成立。

 この数カ月間、日本は大きく動き続けてきた。そのためコロナ禍についての話題は控え目なものになってきた。

 コロナ禍ばかりが焦点化していた頃と比べれば報道の視野が広がり、いい傾向ではあるが、同時に「まだコロナ禍だ」という危機感を忘れがちになっていないだろうか。近頃、日本のコロナ禍関連で報道されるのはインバウンドへのトライアルや観光事業の再開、そして4回目のワクチン接種だけになったと言っても言い過ぎではないだろう。

 まだコロナ禍は収束していない。

「まだコロナ」のキーワードを消し去った途端にリバウンドしてしまったという事態が起こるかもしれないのだ。そうなると、今度は「コロナ禍に縛られたまま、物価高にいじめられる」という二重苦の生活になってしまう。

 期待を込めて言えば、コロナ禍が収束するまであと少し。国や自治体の施策や方針が理不尽だとか、整合性に欠けると思い始めた今こそ気を引き締めておこう。
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[season12/0613/24:50]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
次候‥腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる):里に蛍が飛び始める頃
photograph:IRIS:horikiri-shoubuen, katsushika City
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≡≡ 散歩の極意 ≡≡

自ら進んで道に迷うこと。
それしかない!

 コロナ禍が治まってきた(とされている)昨今、谷中辺りにも観光客が戻ってきたなと感じることが多くなった。
 ここ2~3週間、おなじみの『谷中銀座』や『よみせ通り』あるいは『三崎坂』や『諏訪台通り』には人通りが戻ってきているようだったが、以前のような賑わいにはほど遠いものだった。特に、いちばん谷中の風情を醸し出しているはずの『細い路地』で地元民以外を見かけることはほぼなかった。

 ところが今日、久々に明らかに観光客と分かるグループと出会ったのだ。彼らは『へび道』近くの細い路地しかない所でグーグルマップを見ながら方向を確認していた。
 声を掛けると「谷中銀座に行きたいのですが」と答えてくれたので、その場所からの道順を事細かく説明したのだが、彼らはその説明を細かくて丁寧と感じたらしく、やけに感謝されてしまった。
 こちらとしては、細かく説明しないと辿り着けないほど入り組んでいるからそうしただけだったのだが、彼らにはこちらの真意が理解できなかったようだ。
 そして私は、道案内を終えてから「谷中を散歩するならグーグルマップを見ないで、盛大に迷子になるのがオススメですよ」と語りかけた。

 私は盛大に迷子になることこそ散歩の極意だと信じている。

 ウロウロしているうちに元の場所に戻ったとか、思いもよらなかった場所に出てしまったとか、行こうとしていた所に行けなかったという珍道中がなければ散歩は面白くない。グーグルマップを確認しながら辿り着いたとしても、そこまでで確認したのは四つ角の位置だけで、街並みはほとんど見なかったという情けない結果しか残らない可能性もある。

 グーグルマップで確認したルートを辿って最短距離で目的地に着き、ネットで仕入れたオススメ店に入って、オススメの映えメニューを食べること。それこそが街歩きだと誤解している人が多いようだが、それでは地元とのふれあいはごくわずかしかない。その地の風情を満喫したければ、迷子になるのが一番だ。

 なによりも、人から教えられたものをトレースするばかりだと限定された充実感しか味わえないではないか。私は「ウロウロ・キョロキョロ・アレレ」こそ散歩の極意だと信じている。
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[season12/0612/25:00]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
次候‥腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる):里に蛍が飛び始める頃
photograph:IRIS:horikiri-shoubuen, katsushika City
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≡≡ 七十二候の怪 ≡≡

芒種次候は「腐草為蛍」
その意味は
腐った水草から蛍が湧き出る

 季節の移り変わりを表す農村歴の二十四節気を、さらに「初候」「次候」「末候」の3つに区切ったものを七十二候という。古代中国で考案されたものを江戸時代に日本の季節感に合うように改めたもので、季節の移り変わりを短文で表す仕立てになっている。

 今日から5日間は『芒種』の次候になるが、それを表す短文が怪奇そのものなのだ。
 曰く「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」。つまり、腐った水草から蛍が生まれるという自然現象をまったく理解していない表現になっているのだ。蛍が腐った水草から自然発生的に湧き出てくるわけはない。いくら蛍が飛び始める季節だとしても明らかに言い過ぎ。ここまで極端だと呆れるしかない。

 梅雨が本格化してからしばらくすると蛍が飛び交う時期がやってくる。梅雨明け頃には有名な蛍の里から見物客の賑わいが伝えられることだろう。ひょっとするとコロナ対策用の「もっとTokyo」や県民割などの地域観光事業を活用した宿泊プランの目玉企画にと計画している関係者もいるかもしれない。

 まさか、そんな“蛍イベント”で七十二候を話題にすることはないと思うが、念のために言っておこう、「話題にするな」と。
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[season12/0611/24:30]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
次候‥腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる):里に蛍が飛び始める頃
photograph:IRIS:horikiri-shoubuen, katsushika City
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≡≡ 本日は稀に見る大吉日 ≡≡

占いは信じないで
楽しむのがイチバン

 6月10日は「天赦日」「一粒万倍日」「十二直の建(たつ)」「二十八宿牛宿」が重なり、「仏滅」が霞んで見えるほどの大吉日。

 ……だそうだ。

 私は験も担ぐし、神社仏閣に参拝するのは、もはや趣味の域に入っているのではと感じている。もちろん、神社で手に入る縁起物を集めるのも好きな人間だ。占いページも欠かさずにチェックしている。運気の流れを気にすることもある。

 しかし占いは信じない。一切信じない。

 正確に言えば「信じない」のではなく、「楽しむ」とか「比較する」あるいは「その表現力や文章力を参考にする」と言ったほうがいいかもしれない。
 ちなみに、散歩代わりによく行く神社仏閣へのお参りも「神仏をきっかけにして自分を鼓舞する」ためのもの。おみくじに至っては単なる“お楽しみ”でしかない。

 そんな私に「今日ほどの吉日は滅多にないから、宝くじでも買ったほうがいいよ」と声を掛けてくれた人がいた。無下に断るのも大人げないと思い、買うには買ったが、いまひとつ納得していない。
 氏が言う吉日の基準は、干支や甲乙丙丁などを掛け合わせて吉凶に当てはめたもの。その順列は60日で一巡するというもの。私が季節の区切りによく使う二十四節気のような「季節の移ろいを経験則でまとめた農村歴」ではない。
 いわば、律令時代に重用された陰陽五行思想に基づく陰陽道の延長線上にあるものと言っても差し支えないだろう。

 運勢は自分で作り出すもので、見えない力によって与えられたり振り分けられたりするものではないと私は信じている。なにより、その日の吉凶に振り回されていたら、やりたいと思っていたことも出来なくなる。

 私は占いや吉凶は「我が道を行く時に見聞きする風景であればいい」と思っているのだが、どうも私に宝くじを進めた氏には通じなかったようだ。
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[season12/0610/25:10]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
初候‥螳螂生(かまきりしょうず):かまきりが生まれる頃
photograph:hydrangea, kasuga, bunkyo city
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≡≡ 身体は正直 ≡≡

晴れれば元気
雨が降れば意気消沈

 雨が降り続くと、それだけでなんとなくダルくなってしまうのに、晴れた途端にパワー復活「よし何でも来い、何とでもなる」と感じるのは私だけだろうか。

 今日は数日ぶりにいい天気だった。外歩きが心地よくて、ワケもなくウキウキ気分になってしまった

 二十四節気の基礎になっている旧暦では5月は梅雨真っ只中だった。この約1カ月の新暦とのズレが言葉の使い方を変えてしまった代表的な例が「五月晴れ」だ。
 つまり「五月晴れ」は梅雨の合間の晴天を指す言葉で「梅雨晴れ」と言い換えられることもあったという。
 今どき6月に入ってから梅雨の晴れ間を「五月晴れ」と表現する人は、よほどでないと見つからないが、季節感に合わせると“6月なのに「五月晴れ」”が正しい言葉遣いということになる。
 大袈裟なようだが「五月晴れ」の使い方を変えたのは明治維新といってもおかしくないわけだ。

 マッ、そんなややこしい問題はさておき。

 晴れれば元気になれるというのは厳然たる事実。このまま「梅雨晴れ」が続いてくれれば、ずっと元気でいられるのだが、そうもいかない。
 梅雨時分は晴れれば元気、雨が降ると意気消沈という私の性分を見直したほうがいいのかもしれない。
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[season12/0609/24:50]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
初候‥螳螂生(かまきりしょうず):かまきりが生まれる頃
photograph:hydrangea, kasuga, bunkyo city
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≡≡ 念には念を入れて ≡≡

4回目のワクチン接種

 今日、ワクチン接種券が届いた。60歳以上の人間に自動的に配布されるもので、これまでの3回は何のためらいもなく予約をしていたのだが、今回はどうしたものかと考えてしまった。

 ここ3週間ほどは、緩やかとはいえ、新規感染者も減少している。これまでなら、感染者が減った途端に以前の生活に戻す人もいたが、いまではほとんどの人が「数字には騙されないぞ」とばかり慎重に振る舞うようになった。
 そんな慎重さのおかげで、周囲の様子を伺いながらという条件付きとはいえ、マスクもアルコール消毒も大声で話し続けることも控えるのが当たり前になっている。
 しかも、話題になっているインバウンドの入国や「都民割・もっとTokyo」も本格化しはじめている。

 コロナ禍に対しての危機感が薄らいでいるのは間違いない。

 そんな日常の中でのワクチン接種。私のように、打つべきかどうか考えてしまう人間が出てきてもおかしくないだろう。

 私が住む東京・荒川区の集団接種では今回もファイザーとモデルナの2種類が選べるようになっている。もしも新しいノババックスのワクチンが選べるようになっていれば、3種類目だ、新製品だ、製造方法が違うなどと“お試し心”全開で飛びついていたと思うが、残念ながら選べないとのこと。
 ひょっとすると、接種するかどうか一瞬考え込んでしまったのはこの選択肢のせいかもしれない。いや、新しいワクチンだったらと考えてしまうこと自体、危機感よりも義務感のほうが強くなっている証拠なのかもしれない。

 とはいっても、せっかくの接種機会を逃す手はない。何よりも感染確率がゼロになったわけではない。ここは「念には念を入れて」と自らを鼓舞しながらでも接種すべきだろう。

というわけで……、予約した。

 モデルナを選んだので、通算するとファイザー2回、モデルナ2回という“並行カウント”になった。ちなみに会場も近くに安くて旨い定食屋がある所を選んで、芽生えてしまった義務感を誤魔化す作戦を取った。

 今、私は「とうとうコロナワクチンを危機感ではなく義務感で接種する日が来た」というような妙な感慨に耽っている。
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[season12/0608/24:50]
芒種』‥古くは田植えが始まる頃。梅雨空の下で紫陽花や花菖蒲が咲く
初候‥螳螂生(かまきりしょうず):かまきりが生まれる頃
photograph:hydrangea, kasuga, bunkyo city
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