∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 花冷えの時期 ≡≡

寒の戻りが予想される時期の
どんよりと曇った空

 どんより曇った空を見上げながら一日がスタートしました。それだけでもうんざりなのに、天気予報を見ると明日は本降りの雨、明後日は真冬の気温に戻るとか。

 例年通り「寒の戻り」がやってくるようです。

 やっとあたたかくなったとホッとひと息ついていたのに、また寒さが戻ってくるんですね。
 ここまで律儀に毎年季節の移り変わりを繰り返すこともないだろうと自然の営みに恨み節のひとつも言いたくなってしまいます。

 ところで、せっかく咲き始めたソメイヨシノはこの寒の戻りをどう感じているのでしょう。老木なら「また今年もか」と感じているのでしょうか。それとも、春らしくないから満開になる時期を遅らせようとしているのでしょうか。
 桜も人間も冬の名残りにはお手上げです。

 幸いなことに、ひと冬お世話になったモコモコダウンだけはクリーニングに出していたかったので、ゴソゴソと引っ張り出して寒さに備えることにします。
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[season13┃17 Mar. 2023┃12:10 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 只今、2匹がベッドで爆睡中 ≡≡

「毛だらけ」の掛け布団は
春の風物詩

 今、我が家の猫たちのうち2匹が私のベッドの上で爆睡しています。起きてくればはっきりしますが、どう考えても掛け布団は「毛だらけ」のはずです。

 徐々に毛が生え変わる短毛種系の猫とはいえ、やはり春秋になると毛の生え変わりは起こるもの。床の隅に抜けた毛がふわりと塊になっていることもしばしばです。
 そんな換毛期の猫が2匹も掛け布団の上で寝ていれば、シーツが毛だらけになるのは間違いありません。

 そんな抜け毛はどうするのか。当然私が、ホコリ取りブラシとコロコロの二段構えで、掃除します。そのままにして掛け布団全体が“毛だらけ”になると最悪ですからね。

「ベッドの上にも春がやってきた」。

 マッ、こういうふうに考えておきます。たかが抜け毛でイラツイていては猫とは暮らせません。
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[season13┃16 Mar. 2023┃10:45 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 再・再・再……トライ ≡≡

今度はどうかな
自信はないけど、やってみよ!

 これまで何度も挑戦して、そのたびに挫折してきた“学び”に挑戦することにしました。う
 ゴール設定をかなり低く設定したうえに、これまでのように勢い込まず、あえて開き直って「諦めずに半年続けば立派なもの」という気持で始めれば、ひょっとするとひょっとするかもと甘く考えています。

 オッと。念のためにお断りしておきますが、収入アップにつながるような資格や検定ではありません。今流行りの“リスキリング”とも直接的なつながりはありません。単純に“知りたい・学びたい・身につけたい”という欲求を満たすだけが目的です。

 ということで、今から教科書を探しに行ってきます。何度も頓挫しているとはいえ、新たな学びなので、お気楽にアマゾンで買うよりも書店の店頭で立ち読みをしながら手に入れたいんです。

 では、行ってきます。
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[season13┃15 Mar. 2023┃12:20 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ サクラサク ≡≡

迎える桜から
送り出す桜へ

 3月14日。昨日は宣言が持ち越された東京の桜の開花宣言も、さすがに今日は出されるだろう。このままだと、ちょうど卒業式シーズンが満開時期になりそうだ。桜吹雪の中、母校から送り出されるというわけだ。

 思い起こせば数十年前。私が子供だった頃、入学式といえば咲き誇る桜の樹の下で記念写真を撮るものと誰もが常識だと信じていた。インターネットが普及するまでは大学入試の結果を知らせる“電報”だって、合格すれば「サクラサク」が定番だった。

 だが、3月中旬に桜の開花宣言が出されるようになると、4月初旬に予定されている入学式で撮る記念写真は“若葉が芽吹く桜の樹の下で”ということになりかねない。

 合否判定はインターネットで。記念写真は若葉を背景にして。どうしても満開の桜を背景にしたければバーチャル映像を準備すればいい。希望すれば、晴れがましい姿を桜吹雪の中に映し出す動画にすることも出来る。

 時代が変わったのか、それとも、春の風景が変わったのか。ここでも昔の常識は通じなくなっているのだろうか。

 時の流れを憂うより、素直に桜を愛でる。難しいことは考えずに春の訪れを存分に楽しませてもらおう。
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[season13┃14 Mar. 2023┃11:30 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ マスク、どうします? ≡≡

やっぱり様子見、かな

 3月12日、東京のコロナ新規感染者は606人でした。一時と比べると驚くほど低い数字です。人口比で考えればごくわずかといってもいいでしょう。
 でも、ゼロではありません。相変わらず感染する方もいらっしゃれば、亡くなる方もいらっしゃるという状況です。
 そんななかで、今日から「マスク着用は個人の判断に委ねる」ようになりました。政府は医療機関受診の際や通勤ラッシュでは引き続き着用を推奨するとしていますが、細かな線引きはありません。

 と、今日からコロナ対策は劇的に変化しました、公にですが。

 皆さんはどうされますか。私はしばらくは様子見をします。とはいっても、ノーマスクの人を見かけても距離を置くようなことは止めます。あくまでも、自分が感染しないように予防するため。つまり、これまでどおりです。

 一方、東京では今日にも桜の開花宣言が出るのではと言われています。おそらく今週末からは“花見の宴”も目立つようになるでしょう。それも、これまでの3年分のうっぷんを晴らすかのような“ハジけた”ものになりそうです。

 ということは……、感染確率は高まるわけです。

 この3年間で染み込んでしまったコロナ対策を踏襲すると、感染確率が高まる中でマスクを外すのはご法度ですが、今日からは“マスク着用緩和”です。
 これまでだって飲食店では外していたじゃないかと言われると「それもそうか」と納得してしまいそうですが、それでも突然のノーマスクには腰が引けてしまいます。
「少なくとも、花見のシーズンが終わるまでは様子見。出来れば5月8日の5類移行まで待つこと」。これが私流のウィズコロナになりそうです。
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[season13┃13 Mar. 2023┃12:20 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

 

≡≡ 寄り添うってなんだ ≡≡

助けを求める人と向き合って
助けを求める人の真意を汲み取る

 阪神淡路、東日本、熊本、山形。未曾有の大災害が起こるたびに災害対策は進化を遂げてきた。考え方自体も「大災害は必ず起こる」が基本になった。
 そんな変化のなかで救援・支援のあり方にも意識改革が起こり、「慈悲の心でお助けする」から「手を差し伸べて当たり前、困ったときはお互いさま」へと変化してきた。神戸、東日本と10数年の間に未曾有の大災害を2回も経験してからは、特にその意識改革が顕著になった。
 未だ復興半ばの東日本大震災で甚大な被害を被った地域ではそんな“変化した支援のあり方”が実践され、阪神淡路大震災のときのように大災害を「儲け時」とか「災害ビジネス」としか考えない輩は激減しているようだ。

 そんな変化の中で“人に寄り添う”という人間の根源に迫る考え方も変化してきた。「お節介やき」でもなく「助けてやる」でもなく、「困ったときはお互いさま」はもとより、「見つめ続ける」や「聞き続ける」、あるいは「目立つことのない地道な行動」への変化である。
 つまり、昔から言われてきた「恩着せがましいお助けは偽善である」という反面教師的な思想を大災害を通して多くの人が思い出したわけだ。

 私は支援のあり方そのものが、支援される側に引け目や煩わしさを感じさせることなく、相手の立場や生き方を理解しつつ、自然体であることに変わったと感じている。また、自分の価値基準に合わない行動を揶揄したり攻撃したりすることがいかに低劣な行為であるかも認識されてきたようにも感じている。

 人に寄り添うためには、人の真意をその人の立場を想像しながら静かに汲み取ること。

 我々は、支援の姿勢に自らの優越性や利益を差し挟まないことの大切さを改めて知ったのではないだろうか。
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[season13┃12 Mar. 2023┃11:30 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 風化ってなんだ ≡≡

負の記憶をバネにする人々と
「我知らず」で過ごそうとする人々

 東日本大震災発生から12年経った。被災地では復興へ向けて今も歩み続けている。ところが、その一方では震災被害が風化し続けている。
 10年ひと昔というが、あの悲劇的な災害であっても同様に惨状が忘れ去られているのだ。

 未曾有の災害が起こるたびに「災害記憶を風化させてはいけない」と言われ続け、相応の取り組みも行われてきているが、現実はそう簡単なことではない。

 実際に被災した人たちには、復興に向けて邁進するするためには、悲惨な記憶に囚われ続けるよりも、当時の記憶を、ある種のバネにしようとする人たちがほとんどである。
 そんな人たちは、肉親や知人などいつも触れ合っていた人との別離、慣れ親しんできた風景や音や空気感といった忘れたくない記憶が失われてしまった喪失感を心の奥底に仕舞い込んで、前向きであろうとしている。けっして忘れたわけではない。風化させようとしているわけではない。辛さや苦しさを乗り越えるためには負の記憶をバネにするしかないのだ。

 一方で、実際に被災した人たち以外では「もう忘れた」とか「思い出したくない」、あるいは「当時のことは知らない」という人たちが増えていくのも事実である。そんな“無事だった人々”の間から『風化』は進んでいく。
 ヒトは自分に直接関係のなかったことは次々と記憶の引き出しに仕舞っていくものだが、それが極まると「我知らず」になってしまう。当然、未知の災害に対する備えもおろそかになりがちだ。

 災害の記憶は『風化』させてはいけない。

 そのためには、たとえ地道な取り組みであっても、「より現実的なシミュレーション」や「記憶の呼び覚まし」を提供し続けなければいけないのだろう。特に災害の恐ろしさを知らない層に対してはクドいほど知らせていく必要があるだろう。
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[season13┃11 Mar. 2023┃12:50 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 今日はおとなしくしていよう ≡≡

今日の気構えは
我流を抑えて
出しゃばらないこと

「今日はおとなしくしていよう」。朝起きた時、こんな思いが頭をよぎりました。何故かは分かりません。重大な局面を目前に控えていると自覚している時以外、いつもどおりの暮らしのなかでこんな思いを抱いたことはありません。
 占いでもなんでもない。単に処世訓じゃないかと一蹴される方もいらっしゃるでしょうが、こんな経験に疎い私にとっては異常な体験なんです。

 いわゆる予兆とか予言とかインスピレーションだとしたら不気味です。モノゴトの推移には何かしらの理由があると信じている私にとっては気味の悪いものなんです。自覚するようなこともまったくありません。「常に謙虚であれ」という姿勢とも違うような気がします。

 とはいっても、突然頭をよぎった思いを無下に扱うのもはばかられます。かといって、こんな思いに振り回されるのも自分らしくありません。
 数多ある占いを比較して楽しむのは好きだけど、信じたことはほとんどない私ですが、迷った結果、今回だけは占いというよりも処世訓として守ってみようかなと思い始めています。

 我流を抑え、周囲の流れに身を任せ、出しゃばらないこと。

 何が起ころうとしているのか分かりませんが、今日は何事が起こってもおとなしく過ごしたほうがよさそうです。
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[season13┃10 Mar. 2023┃11:15 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 桜よ、急げ ≡≡

諸君、
のんびりしている場合じゃない
今年の春の歩みには
「走りの神」が恣いているぞ

 昨日に引き続き、今日も暖かい。最高気温が記録される午後半ばには初夏のような気温になりそうなくらいに暖かい。地球が何を伝えようとしているのか分からないが、とにかく異常なほど暖かい。

 例年、桜の開花日の予想は一日二日のズレはあっても概ね的中してきた。しかし、今年はどうも様子が違うようだ。
 気温の蓄積と日照時間で開花予想してきた気象関係者もここまで暖かくなるとは想像もしなかっただろう。

 しかし、いちばん慌てているのは桜の樹そのものかもしれない。ひょっとすると「オイオイ、季節の歩みが早すぎるだろ」と囁いていたり、「のんびりしている場合じゃないぞ」と自らにハッパを掛けているかもしれない。

 私自身もそうだ。昨年晩秋から予定していた“ちょっとした仕掛け”がすっかり狂ってしまった。まさに「こんなはずじゃなかった」である
 とはいっても、自然の営みには逆らえない。少しだけ早めに自分時間を進めればいい。せっかくだから、生き方そのものもペースアップを図るのもテかもしれない。
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[season13┃09 Mar. 2023┃12:20 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 春が走りながらやってきた ≡≡

春です。
あったかいです。
過ごしやすいです。
でも、
身体がついていきません。

 今朝は寒さに震えた日々はなんだったんだろうと思わせるほどあたたかでした。もう、ピシッと肌に突き刺すような寒気の中で朝を迎えることもなさそうです。

 ジワジワと暖かくなっていくのを感じながら道端に咲く花を見ながら“小さな春“を実感していた昔と違い、昨今は短い予兆を感じたら、その次は突然の春本番というのが当たり前になってしまいました。
 いいのか悪いのか、四季の移り変わりがはっきりし過ぎるようになって以来、四季折々の風景が楽しめる日本の魅力が薄れるようになったのではと私は感じています。
 そこまで大所高所に立たなくとも、季節の変わり目になると身体が付いていかないと感じることが多くなったことは否めません。

 とはいっても、春は春です。咲き始めた桜を愛でながら過ごします。気持ちだけは仙人気分で春を満喫させてもらいます。
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[season13┃08 Mar. 2023┃11:25 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 花手水 ≡≡

おもてなしの心が伝わってくる
『花手水』

 近頃、手水舎を花で飾るようになった神社仏閣が増えたおかげで、お清めの手水を使う時が楽しくなっている。
 一説では数年前に京都のお寺で始まったものと言われているが、手水を使うのもはばかられるようになったコロナ禍で一気に広がった神社仏閣の“新しい楽しみ方”である。

 手水鉢の水面いっぱいに広がった季節の花々を見ているとそれだけで楽しくなってしまう。本来の手や口を清める作法を忘れてしまいそうになることもしばしばと言っても過言ではない。
 しかも、この花手水は和花だけでなく洋花も自由に使われるため、ひっそりと佇んでいた手水舎が一気に華やぐという効果もある。

 これまで神社仏閣はひっそり佇む庭を整えたり、縁起物を配置したりすることで印象を高めてきたが、私が見知った限りでは、生花で演出するという発想はなかった。
 そんな古典的な風習に風穴を開けたのがこの花手水である。いわば神社仏閣を視覚的に楽しむトレンドと言ってもいいだろう。

 私はこの花手水を、多くの人々に参拝してもらいたいという社寺の願いを垣間見ることよりも、参拝してくれた人々に癒やしの時を提案しようとするおもてなしの心だと解釈している。
 いまやスタンプラリー化してしまった『御朱印』や、参拝した証を残そうとした『千社札』と比べて、花手水は“愛でる”とか“記憶に残す”といった印象が圧倒的に強い。しかも社寺のおもてなしの心も感じられる。

 手水鉢にさり気なく生けられた花々を愛でながら参拝する風習が末永く続くように願うばかりである。
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[season13┃07 Mar. 2023┃12:10 JST
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 『啓蟄』の節季 ≡≡

冬ごもりの時期が明け
地上がうごめき始める頃

 二十四節気の『啓蟄』の節季がやってきた。土の中に隠れ閉じこもっていた蛇や虫たちが春の訪れに気付き、再び動き始める頃である。雪の下に隠れていたふきのとうや山菜類も地上に目を出し始めている。この時期は地上の営みが活発になってくるのと同様に、人々の動きも軽やかになる時期でもある。

 江戸時代にまとめられた『暦便覧』では「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。

 まさに春本番がそこまで来ている時期である。何故か気温が上がるに従って気持ちもウキウキしてくる。きっと、冬眠中だった蛇や虫たちもそんな気持ちでいるはずだ。
 青果店の店先にふきのとうや山菜の新芽が並び始る一方で、鮮魚店や鮨店にはサヨリや早採れのサワラ(鰆)が並ぶようになる。

 山野に育つ春野菜には独特の苦味があるが、この独特の風味を「冬を耐え忍んできたエネルギーの名残」と感じる人もいる。また、縁起を担いで「極寒の冬を食い尽くす」と捉える人もいるようだ。
 私のように、冬の時代から脱却する時期と捉える人もいるかもしれない。

 人それぞれに捉え方は違うが、要するに、冬に別れを告げて春の訪れを楽しみに待つ時期である。『啓蟄』の次の節季は『春分』。春本番へのカウントダウンは着実に進んでいる。
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[season13┃06 Mar. 2023┃12: JST
啓蟄』の節季‥寒から暖へ。再会の時。冬眠明け。山菜。
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃Ueno toshogu, Botan-en 
Photographed on 28 Jan. 2022

≡≡ 本日、開店休業 ≡≡

朝から
頭の中はポカンと空白状態に

 どうしたことか、朝から何も考えられなくなっています。聞こえてくるテレビの音声さえ「音が鳴っている」程度にしか感じないんです。朝食などのルーティーンも何もかもが惰性と習慣で進んでいるような感じなんです。

 どうすればいいんでしょう。

 自分自身に「覚醒せよ」なんて言えるわけもないし、「こんな日もあるさ」と慰めるのもおかしいし。

 そんな妙な風向きなので、本日は開店休業にします。ではまた明日。
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[season13┃05 Mar. 2023┃12: JST
┃PLUM TREE(ume)┃
Yushima tenjin, Bunkyo city Photographed on 01 Feb. 2021

≡≡ 気がつけば週末 ≡≡

あっという間に
過ぎていった一週間は
「教うるは学ぶの半ば」を
実感した一週間

 新たな仲間と仕事に取り組むようになって一週間。概要を伝えながら、詳細の解決方法を教え、新たな視点を探りという「基本のキの字」をおさらいしているうちに一週間が終わってしまいました。
 自分自身もまだ習熟していない課題を新たに加わった人間に教えるという無謀とも思える取り組みでしたが、結果的に、教えながら学ぶことの大切さを実感することになったと感じています。

 中国の古典『書経』では「教うるは学ぶの半ば」と教えています。また、フランスの哲学者シューベールは「教えることは二度学ぶこと」という箴言を残しています。これらの教えや名言に従うと、私は習熟への階段の途中で学び直しを行ったということになります。
 また、より積極的にモノゴトを理解するためにの方法として「他人に教えるつもりで学ぶ」姿勢を心掛けている方もいらっしゃるようです。
 自分の過去を振り返ってみても「人に教えると身につく」と実感したことが何度もありました。

 いま私は、先人たちのそんな教えを思い浮かべることもなく、間違ったことを教えてはいけないと冷や汗をかきながら過ごしただけなのに、実際はそんな崇高なことだったのかと改めて実感しています。同時に、ほんの少しだけ、自分史を遡っているような気分も味わっています。
 この10数年間「過去を振り返ることなく未知の世界を切り開く」をモットーとしてきたはずなのに、突然降り掛かってきた事態で気持ちの持ちように変化が出てきているのではとも感じています。

 これからどんな変化が起こるのか、ちょっと楽しみです。
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[season13┃04 Mar. 2023┃11:40 JST
┃PLUM TREE(ume)┃
Yushima tenjin, Bunkyo city Photographed on 01 Feb. 2021



≡≡ ひと駅間違えた ≡≡

あとひとつだったのに
どうして降りちゃったの!

 そこそこ混んでいる地下鉄でいつも通り目的の駅まで本を読みながら移動中のことでした。

 本に夢中だったからか、満員でどこに着いたのか分からなかったのか、それともアナウンスを聞き漏らしたのか。原因は定かではありませんが、とにかく、私は一つ前の駅で降りてしまったんです。それも、満員の人を押しのけながら。
 駅に降りてびっくりして。見知っている風景とはまったく違っていたんです。よく見ると駅名も違いました。

 内心では「アッ、間違えた」と焦っていましたが、そこはそれ、周囲の人から「降車駅を間違えたな」と気付かれないように、何食わぬ顔をしてホームをウロウロ。電車が発車した後、おもむろに降りたのと同じドアの前まで行って、さも「今来ました」という体で次の電車を待ちました。

 いくつになってもやっちゃうんですねえ、こういうウッカリって。

 反対方向の電車に乗ってしまったり、違う路線に飛び乗ってしまったり、あるいは寝過ごして終点まで行ってしまったり。
 情けないことに、私の場合は1年にほぼ1回から2回の頻度でおバカなウッカリを繰り返しており、そのたびごとに“何食わぬ顔”が登場します。

 このウッカリ癖を治す特効薬ってないんでしょうか。あれば教えてください。
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[season13┃03 Mar. 2023┃12:15 JST
┃PLUM TREE(ume)┃
Yushima tenjin, Bunkyo city Photographed on 01 Feb. 2021