∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

欲しがりません 勝つまでは

第二次世界大戦中の標語である。国民生活を犠牲にしてまでも、限られた物資を軍用にするためのスローガンで、集団催眠効果も手伝い、当時の人々はなにもかも「お国のために我慢」のひと言で済ますように方向付けられてしまった。
◇今、日本は計画停電という未曽有の電力不足に陥っている。しかも、これはまだ序章、夏に向かってもっとひっ迫した状況が控えていると国も電力会社も言っている。
 「生活様式を変えなければいけないような電力削減」や「料金を値上げして総量を下げる」という、ライフスタイルや経済力に踏み込んでくるようなメッセージがテレビでは報道されている。
 僕にはこのメッセージが未曽有の国難に直面した今、国民が国やインフラ企業の示す方向に進むように誘導するものとしか思えない。
 そして同時に思い浮かんだのが「欲しがりません 勝つまでは」のスローガンだった。
◇現実問題として、電力不足で突発的な停電の危険性をはらんでいるのは理解できる。しかし、それなら、供給企業が抜本的で、身を削るような努力で不足分を補うような対策を立てることのほうが先決ではないだろうか。
 「企業の立ち位置は変えません。お客様が我慢してください」とか「インフラ企業がそう言っているから、みんな我慢するように」とか言っているのだろうか。 その裏に隠されてきた企業と国と官僚の深い連携が見えるようだ。
 つまり、こういうことだろうか。これからの数年、ある程度、企業の破綻や個人生活の低迷が続いてもインフラを守れ。特別な権益を持つグループを守るためには、それ以外の大多数の国民が権利として持っていると錯覚していた「繁栄の証」がどうなってもいい、ということだろうか。
◇現象面だけを伝えて、問題の核心をできるだけ隠す。それで納得させておけば、気がつくまでに思い通りの方向に持っていける。
 特別なグループに属する人々は、そう考えているのだろうか。国を動かすためには、多少の犠牲は止むを得ない。集団催眠的な世論を形成させるためにはスローガンやイベントも必要だろう。
◇まさか、こんなことを誰かが考えているとは思いたくない。国もインフラ企業も、国民が今までと変わらないペースで生活していけるようにするための最善の策を模索しているところだと信じていたい。
 しかし、「黙っていると世の中がドンドンとおかしな方向に流されていき、その結果は黙っていたサイレントマジョリティに押しつけられる」という言葉もある。
地震をきっかけに、これまでとは違う道筋を行かざるを得なくなった今こそ、あらゆる手段を介して小さなコメントを積み重ねていくことが重要になってきた。
 今度こそ、国が「特別なグループに属する人たち」のものではなく、大多数のサイレントマジョリティのものであることを明確に示さなければ。
 もう、「欲しがりません 勝つまでは」的なヒステリックな集団催眠には掛らないようにしよう。
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