∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あれから1カ月

◇あの日、僕は池袋の近くにいた。ちょうどビルの階段を降りようとしていたところ、ひどいめまいを感じて、「アレッ、久しぶりにひどいめまい。そんなに調子悪いかな」と感じたのが最初だった。
 しかし、周囲の人たちが全員ビルの外に逃げている。それで地震だということに気がついた。なんだか呑気な話だが、大きな地震が自分に降りかかることなんて思ってもみなかったほど、平穏な日々に慣れきっていたのだ。
 ようやく地震の第一波が収まった後、自宅まで3時間ほど掛けて帰り、テレビを点ける。
◇ここから、すべてが変わった。大地震、大津波、コンビナートの火災、原子力発電所の被災。入ってきた情報と映像を編集することもなく、断片的かつ繰り返す報道特別番組から目が離せなくなっていた。
 一体、何が起こったのか、混乱するばかりで、把握できたのは東北地方で激甚災害が起こり、東京にも影響が出そうだ、ということだけ。気がつくと、その日はテレビを点けたまま寝てしまっていた。
◇しかし、本当の災害はまだ隠されていた。被災地から「昨日までここは街でした」というレポートが続く中、原子力発電所が被災し、甚大で未曽有の状況になっているということは具体的な情報としては届いていなかった。
 この原発問題がこんなに大きな事件だなんてその時は知る由もなかった。
◇日が経つにつれ、すべての状況が悲惨極まりないことが明白になってきた。
 この地震津波が日本だけの問題ではなく、世界中の健康、経済までも想像以上の影響を及ぼすことだということが明白になってきた。
◇そして1カ月経った。日本中がパニック状態に陥っていたのが、落ち着きを取り戻しつつある今、ようやく、何を為すべきか、目標を定めるための準備が整いそうな状況になってきた。
◇ここからだ。「防ぎきれない天災」と「防ぐべき人災」を一挙に知ることとなった僕たちは、今度こそ進むべき道を正しく選び出し、スクラムを組んで一歩ずつ前に進んでいこう。
◇いろいろな標語が飛び交うようになってきた今、僕は「ピンチはチャンス」と「涙を力に」「生きてるだけでめっけもん」を最初の自分標語にしてこれからの日々と直面していこうと決意している。
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