∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

無理な節電、事故のもと

【ムシムシする夜】


 さすがに梅雨本番。東京は、雨が降りそうで降らない一日でした。湿度充分、不快指数満点。まるで細かな水滴が肌に張り付いているよう。こんな日は、身体もだるく、気持ちも暗くなってしまいそうです。
 ということで、帰宅してすぐにエアコンを入れ、換気扇を付け、そしてシャワー。それだけですっかり気持ちも体力も回復した気分になってしまいました。ウーム、僕は単純に出来ているな、と感じてしまった瞬間でもありましたが。


【節電依頼の先に見え隠れするもの】


 巷では「節電」が日本に住むための合言葉のようになってしまいました。確かに発電量と予想される消費電力量を比較すれば節電しないことには突然停電してしまうから節電しよう、という発想は理解できます。


 でも、どこかおかしくないですか。


 突発停電の恐れがあるから節電。原発からの電力供給が望めないので火力。石油の使用量が増えるから値上げ。
 すべて企業の論理ばかりです。CMなどで「協力してほしい」とは言われました。官邸からの「原発の甚大な事故のためライフスタイルを変えなければいけないでしょう」という言葉も聞いたような気がします。
 いまさらこんな事を言ってもしようがないのは承知していますが、それでもグチのひとつも言いたくなります。
天災だからやむを得ないのでしょうか。安全を守り、危険を国民に伝えるべき人たちは与えられた仕事をしてくれたのでしょうか。手探りの復旧が続き混乱しているとのことですが、安全を守るためのプログラムやシミュレーションは当を得たものだったのでしょうか。
 誰かに責任を押し付けたところで放射能が消えるわけではないし、電力事情が回復するわけでもないので、こんなグチはもう言うのは止めます。言っている自分がみっともなく見えてしまいます。もちろん、むやみに「反原発」や「脱原発」と騒ぐこともしません。必ずエネルギー政策は変わると信じていますから。


 それでも、節電のお願いだけはまともに聞く耳を持ちたくありません。


 政府や電力会社が勧めている「節電」の理由には表と裏があるように思えてならないのです。
 突発停電を避けようという現実的な理由は理解できます。
 しかし、原発抜きでは電力量が足らないとか、電気料金の値上げという言葉の先には「だから原発再開」という目先の安定を目指す真の目的が隠れているように思うのです。
 橋元大阪府知事ではありませんが、節電依頼と値上げは「電力村」の人々が仕組んだ恫喝だと僕は信じています。
 そんな恫喝には乗りません。突発停電を起こしたら電力会社の責任。原価の上昇は電力会社の収益で吸収する。それが今回の一連の問題に対する答えではないでしょうか。
 信頼を裏切った企業と官僚組織、そして政府が自らの痛みとして感じ、この数十年「世界的な企業倫理」を優先したためにすべてを誤ったと表明することが先決ではないでしょうか。
 もし、いつまでも「国のため」を根幹にした恫喝が通用すると思っているのだとしたら、そろそろ視点や立ち位置を変える時期が来たということに気が付いて欲しいものです。


【無理な節電はしません宣言】


 僕は湿度の高さに滅法弱い人間です。テレビもしっかり見るほうです。
 インテリア計画がすっかり役立たなくなってしまった、薄暗いだけのデパートやレストランやコーヒーハウスには魅力を感じません。
 暗すぎる駅や街灯の消えた街が、早晩、犯罪のステージになることは目に見えています。
 いろいろな理由がありますが、なによりも恫喝に近い依頼を受けざるを得ないという状況だけは受け入れたくないのです。
 自主的な判断で節電します。もちろん「スーパークールビズ」という服装の節度を壊すだけの呼びかけにも乗りません。
 「欲しがりません勝つまでは」という第二次世界大戦時の標語のように、洗脳に近い、異常な国民運動でいい結果が生まれるとは思えません。僕は日本がそんな状況にあるのではと感じています。


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