∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

節電建築の出番

【建築様式】


 僕は建築に関しては門外漢である。それもかなり「門」から離れたところにいる。
 建築に関しての知識と言えば、歴史とセットで覚えたものや、芸術のムーブメントと一体となって出現したスタイルくらい。もちろん、専門用語もほとんど知らない。
 そんな僕が建築に関してコメントするなんておこがましいが……。


 細かく建築様式のことを列記するほどの知識はないが、古来から建造物は宗教、政治、権力、富の象徴、芸術などとの密接な関わり合いの中で生まれ、その時代を代表するスタイルとして定着してきた。だからこそ、現存している建造物に触れることで、その建造物が建築された時代のバックグラウンドや意識や生活が分かるのだと思っている。
 当然、気候との共生も考慮されてきたが、ある程度文明が発達してからは、それが最優先ではなかった。実はここにこれからの建築が目指して欲しい方向性が隠されていると確信しているのだが、いかがなものだろうか。


【節電の時代】


 この3か月間、日本人は自然の脅威を再認識して、自然を征服しようとした時のしっぺ返しの恐ろしさをイヤというほど知らされてきた。
 つまり、「自然を甘く見るな、傲慢であってはならない」という人類が繰り返し確認してきたことを再度確認してきたわけである。
 その結果の節電である。いつまで我慢すればいいのだろう。
 正直なところ、ビルの中がモワッと暑かったり空気が悪かったり、エレベータが止まっていたり、異常に暗かったりするのにはうんざり。たとえば、コーヒーハウスの壁面照明が消えているのを見るのだけでも寂しくなってしまう。納得できるのは東京の電車の運行本数の減らすことくらいである。
 こんな時代だからこそ、そして当事者であるからこそ、一般論としてのダウンサイジングや、急浮上してきたスマートグリッドという考え方を建築に生かせる時がやってきたと感じているのは僕だけだろうか。
 もちろん、今、巷で言われているような太陽光発電の設備や蓄電池を備え付けるという応急処置的なレベルではない、自然との快適な共生を実現させるためのコンセプトを持った建築哲学が浮上してきてもおかしくないと思っているのだ。
 今年の夏は節電というのはよく分かった。しかし、節電はこの夏限りで終わっていいのだろうか。原発が再評価され、電力事情が元に戻ることを前提とした節電運動の中ではそれでいいだろう。しかし、脱原発代替エネルギー導入が本流となりそうな今、代替エネルギー施設が稼働したり、スマートグリッドが定着したりしない限り、来年以降も電力不足は続くはずだ。
 そんなことを繰り返すくらいなら、ビルの照明や空調やエレベータ、道路照明の見直しをはじめとして住宅まで従来の考え方を一新しながらも快適な設計を考えたほうが前向きだと思っている。


【様式の見直しと発想の転換


 日本には「坪庭」や「書院」「親水式庭園」といった空気の循環まで考慮された空間作りや人工照明が不足していた時代の明り作り、最も気温低減に効果がある水の活用といった自然との共生を考えた様式が存在する。 西洋なら「中庭」や「出窓」「噴水」といったところかもしれない。
 それらが、もともと権力者や富んだ者しか取り入れることが出来なかったスタイルだとしてもよいではないか。発想のキーワードはどこにでもある。


 太陽からは光と熱を。空気からは風とフレッシュエアを。火山からは熱と温泉を。侮らない限り、自然は人に優しい。


 自然の力を再度見直すことを基本にして、スマートグリッドや蓄電技術、LEDの多用、待機電力の減少などを付加し、快適でドラマチックな空間を設計すれば、まったく新しい建築スタイルが登場すると確信している。
 そして今、門外漢の僕はいつそんなスタイルがデビューするのだろうと楽しみにしている。


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