∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

江戸伝統工芸**浮世絵(その2)**

スポルディング・コレクション】


 1921年ボストン美術館に6500枚以上の浮世絵が寄贈された。スポーツメーカーとして有名なスポルディング創始者でもあるウィリアム・スチュアートとジョン・テイラースポルディング兄弟が日本で収集したコレクションである。ただ、このコレクションは「展示厳禁」を条件に寄贈されたものだったため、2008年にデジタル化され、公開されるまでは、まさに秘蔵コレクションだった。
 なぜ、「展示厳禁」だったか。浮世絵で使用された絵の具はどれも光による退色が激しいものだったため、刷り上がりの見事な発色を維持できないため、暗所保存が必要不可欠だったため、作品を永久保存するためにはこのような「寄贈はするが、公開はするな」という措置が取られたわけだ。そうはいっても、一部の作品は厳密な照明管理されたうえで展示されてきた。
 このコレクションの中には歌麿北斎、広重など浮世絵を代表する絵師の作品が揃っている。それも、刷り上がり時の発色そのまま。日本に残っている同じ作品の色合いと比べるとまったく違うものも少なくない。
 特に注目したいのは、色抜けしていないためディテールが損なわれていない点で、発表当時の美しさと豊かな表現を確認することができる。
 明治時代、急激な西洋化によって日本の伝統工芸は表舞台から退かなければならなくなった。そんな時にスポルディング兄弟は浮世絵の素晴らしさを認め、買い集めた。それ以前には広重や北斎がフランスの画家たちから注目されることになり、ゴッホのように模写する大家も出現した。
 視点を変えると、時代の荒波のなか、浮世絵は見捨てられることによって国際化を果たしたと言ってもいいかもしれない。


【時代を写す風俗画とその技法】


 大和絵の流れを汲む浮世絵には大きく分けると肉筆画と版画があるのだが、どうしても木版画の作品が思い浮かぶ。美人画、役者絵、武者絵、名所絵、お化け絵、春画、漫画など、ジャンルは極めて多岐にわたり、当時の風俗や流行りものをすべて網羅したといっても過言ではないだろう。
 つまり、浮世絵は現代のようにありとあらゆるビジュアルに触れることができなかった時代の「総合ビジュアルメディア」なのだ。
 しかも、主題を極端に大きくしたり、変形させたりすることで一層迫力ある表現を確立させた。たとえば、北斎の『凱風快晴(赤富士)』では富士山の頂上が高く描かれている。また、写楽の役者絵では、役者の顔が全体の1/3程度を占めるくらいに誇張され、逆に手は極端に小さく描かれている。また、広重の『名所江戸百景・水道橋駿河台』では極端に大きく鯉のぼりが描かれ、端午の節句にちなんだ作品と言うことが一目で分かる。
 しかも、名所絵の遠景にはご法度の建造物や風景がさりげなく描かれていることがある。つまり、幕府の検閲をすり抜けるような町人の意地までも表現されているわけだ。


 テクニックはビジネスのために。暗に示すコードは町人の意地を。浮世絵版画に関わる者ならではの職人気質。


 浮世絵は芸術作品でありながら、版元の指示に沿って作られた商業美術でもある。しかも、すべてが分業で行われていたため、その作品作りには絵師、彫師、刷師の総合的な力が必要になる。絵師は大胆な構図の絵を、彫師は繊細な彫りを、刷師は彫れないものまで表現する創造性豊かな刷りを。三者がそれぞれ競って自らの手ワザを磨き上げた。
 しかし、浮世絵版画は比較的安価な「娯楽の延長」でもある。それは、浮世絵に関わる者すべてが「売れる絵作り」を追求したということとつながる。すなわち、心象風景を追求する芸術性よりも江戸の町人文化がダイレクトに伝わる商業性を重視したわけだ。
 芸術性と商業性が両立した版画、それが「風俗画という立ち位置から動かなかった」浮世絵版画の真骨頂なのである。


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