∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

重陽の節句

五節句


 1月7日・人日(じんじつ/七草)、 3月3日・上巳(じょうし/雛祭り)、5月5日・端午(たんご/菖蒲)、7月7日・七夕(たなばた/星祭り)、9月9日・重陽(ちょうよう/菊)。
 『古来中国の陰陽思想では奇数は陽の数字で、奇数の重なる月日は陽の気が強すぎ不吉とされていたため、それを払う行事として節句が行なわれていた。なかでも9は一桁の数のうち最大で、特に負担の大きい節句と考えられていた。後に、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となった。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わす』


 参考資料を見ると、五節句のことや重陽節句はこのように説明されています。


 つまり、奇数が重なると不吉だったものが、何時の頃からか吉事に変わって、現代のような、お祝い事の年中行事になったということでしょう。良かった。もし、お祝い事に変わっていなかったら、七草がゆも、お雛様も、柏餅も、七夕飾りも、菊の花を愛でることもなかったわけです。ずっと後になって重陽節句に付けくわえられた「栗を味わう」という祝い事なんて、到底考えられなかったわけです。
 とはいっても、重陽節句にはあまり御縁がありません。もともと、一桁の数字の中で最も数が大きく、影響力も強いと言われていたはずなのに、残らなかったということは、やはり古来から人は華やかな雰囲気のする行事ほど重要視していたからでしょうか。それとも、あと数日でやってくる十五夜のほうを大切にしたからでしょうか。それとも、一年も終盤戦に入ってくると、節句への意識も薄くなったのでしょうか。


 洋の東西を問わず、太陽、月、星、数字は神秘の力を持つものとして扱われてきました。
 農作業や占い、吉日、忌日に始まり、政治や戦争まで。宗教的な意味合いを持てば持つほど、人はその魔力に従うようになっていきます。
 科学的な知識が充分でなかった時代、自分の力が及ばない動きや存在に対しては「神秘的な力が宿る」というカテゴリーを作ることによって、自らの立ち位置を守ったり、逆に、神秘的な存在を操ることによって権力を手に入れたりしていたのでしょう。


【栗の節句


 と、陰陽道や魔力などのことを考えながらも、せっかくだから何か食べたいねと思ってしまった僕は、当然のように栗が食べたくなってしまったわけです。
 とは言っても、わざわざ栗ごはんと言うわけにもいかず、結局、天津甘栗に。天津というくらいだから中国だし、美味しいし。かなり安直な発想です。
 で、そうと決めたら早速、天津甘栗を探しに。今やコンビニでパック入りのものも手に入りますが、今日は縁起を担いで浅草寺へ。仲見世にはなかったと思い、伝法院通りや花屋敷通りの方へ。ありました。昔ながらの方法で、大きな鉄鍋に小石と栗を入れ、ジワジワと熱を加えてホクホクの甘栗を作っているお店が六区から近いところにありました。
 さあ、今夜は甘栗三昧といきますか。


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