∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

1995年1月17日=その2

【眠らない日々】


 神戸に地震が起こった次の日からだったでしょうか。NHKで死亡者と行方不明者の名前を読み上げるだけの番組が始まりました。
 幸いにも身内に亡くなった人間はいなかったのでひと安心でしたが、それでも、知人や友人に不幸が襲いかからなかったかどうか気になり、仕事から帰った後、寝る間も惜しんでというかほとんど寝ないで見続けたことを思い出しました。「頼むから誰の名前も見つからないようにと願いながら見る」という「いないことを探す」という始めての経験、亡くなった方の名前が数秒単位で読み上げられるたびに、ご冥福を祈りながら見るというなんとも悲しく辛い番組でした。「今日ここまでは知人や友人の名前が読み上げられなかった。しかし、明日はどうだろう」。こんな気持ちでテレビを見続けたことはあの時だけ。幸いにも数日経っても読み上げられることはありませんでした。
 しかし、神戸から16年経った昨年の東北大震災の時、今度はあっても見ないでおこうと決めました。亡くなったことを知ることも重要ですが、面識のない方々が亡くなったことを知らないままにすることも大切だと確信したのです。
 おそらく「そっとしておいてほしい」とか「プライバシーの侵害」とかNHKにも厳しい意見が届いたのだろうと推測しています。東北大震災ではこのような報道はありませんでした。これでいいのです。亡くなった方は冥福を祈るだけで。「誰が」という特定は身内以外必要ないのですから。


地震から数カ月】


 地震から2か月ほど経った頃、祖母が亡くなりました。連絡を受けた後、すぐに妹夫婦の家に避難していた母と一緒に葬儀に出席しました。
 極度のストレスが襲いかかったのでしょう。地震直後、近くの小学校に一時避難していた頃から精神状態が不安定になり、体調もすぐれなかったとのこと。直接、地震で亡くなったわけではありませんが、地震さえなければ、もっと長生きしていたと思います。僕に言わせれば祖母も地震の被害者です。想像するに、こんなケースは多かったのではないでしょうか。その後続出した仮設住宅や復興住宅での孤独死地震が引き起こしたものだと思っています。
 東北ではどうでしょう。あの神戸の時のような亡くなり様がないように願うばかりですが……。
 昨年春、ある方から誘われて喪服を送るボランティア活動に参加しましたが、ボランティアに出掛けた夜はいつも「生きた方は、できるだけ長生きしてほしい」と願いながら寝ていました。
 直接、地震津波で亡くなることも辛いけれど、ストレスや孤独を原因とする時間が経ってからの死亡も同じように辛いことです。


 東京にいて被害もなにもなかった僕。大袈裟ですが「助かった命は亡くなった方からの託されもの」と思いつつ毎日を前向きに生きようと心に誓っています。


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