∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

日本が降伏した日

【1945年】


 3月、東京及び日本全国への大空襲。7月、沖縄戦公式終結。8月、広島・長崎への原爆投下。そして8月15日、太平洋戦争終戦
 ここまでは学校で学ぶ歴史上の事実です。しかし7月26日にアメリカ、イギリス、中華民国の3カ国によってこの戦争を終結させるためのポツダム宣言が出されたということになると徐々にあやふやになってしまうことも多いのでは。この宣言には日本がこれ以上戦火に晒されないようになるという3カ国の主張が込められたものです。そして日本はこの宣言を受諾して戦争は終わりました。


 情けないことに、僕は終戦後の9月2日に日本はその3カ国と降伏文書を交わしていたという事実を知りませんでした。確かに終わるためには契約が必要。単に「お・し・ま・い」で済むわけはありません。しかし、僕は太平洋戦争は8月15日に終わったものと間違えて覚えていたのです。今、終戦記念日とされているものは終戦した日を記念するもの。厳密に言うと負けた日ではないわけです。
 3カ国にポツダム宣言以降に参戦したロシアを含めた4か国と日本が降伏文書に調印して世界的に日本が戦争に負けた日のことは「敗戦のショックを和らげるために、隠しはしないが表立ったものにはしない」という時の日本政府の考えが強く働いていたのでしょう。終戦記念日を前面に出し、敗戦記念日は歴史の一ページに閉じ込めてしまったわけです。
 同時に、日本には「戦いは終わらせたが負けてはいなかった空白の3週間」が存在しているとも言えるでしょう。
 そしてその降伏文書に「日本の無条件降伏」と「日本に対する敵対行為を止め、財産を保全し、棄損しない」ということや「日本の大本営が無条件降伏を日本国民に発令すること」などが明記されていたのです。もちろんポツダム宣言に明記された中華民国への台湾返還の条項は履行されることになります。


 先日、孫崎 享(まごさきうける)著『戦後史の正体』(創元社刊)を読み終えました。元外務省。防衛大学校教授などを歴任された方の著書ですが、戦争を終わらせ、日本を復興させるために働いた政治家や外交官、占領軍の意識などが明確に著されたものだと思っています。
 その巻末にポツダム宣言と降伏文書の全文が掲載されています。実は全文を読むのも初めての経験でした。日本のすべてが変わってしまった文書のことを読んだこともなく、受験勉強用に項目だけを覚えていたのかと情けなくも思い、同時にいかに「知らぬが仏」的な生活を送って来たのかと反省するばかりの公式文書でした。


 尖閣諸島をはじめとする領土問題がこれだけ大問題に発展するのは、すべては明確に表記した文書が存在しないことが発端なのか、それとも条約の趣旨の解釈の問題か、あるいはどこかで歴史がすり替えられたか。歴史を知らずに生きてきた僕の頭の中にいくつもの推論が浮かんできます。


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