∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あれから18年。あの日から2年。(その4)

【1995年1月17日5時46分】


 現在、2013年1月17日7時過ぎ。18年前の今日、神戸を中心とする阪神間と淡路島に住む人々は何が起こったのか正確に理解することも出来ないまま、大混乱のなか、恐怖の極致に追い込まれていました。当時、神戸に住んでいた母から「地震や、めちゃくちゃひどい地震や。湊川か長田の方で火の手が上がっとる。怖い。どないしょう。空襲警報が鳴った空襲の方がまだよかった」という電話があり、大きな地震が起こったことだけは判ったものの、テレビでは簡単な第一報だけ。とりあえず隣に住む伯父夫婦と祖母の4人で一緒にいるようにと伝えるのが精いっぱいでした。
 その後、続々と情報が入り始め、「今は来るな。人さまの迷惑になる」と言われ続けていた僕自身も五日目には神戸に入り、想像を絶する被害を体験することになりました。


 そして18年。無言で見つからない家族を探していた方。行動と言葉で支援してくれた方。復興する日を信じて言葉少なに努力を続けてきた方。もう神戸には住めない。ほかの街に引っ越すと悲しげに語った方。無法地帯になっているとヒソヒソ声で噂する人。伝染病も出たらしいとウワサする人。大した被害でもないのに大袈裟に言って義捐金をかすめ取ろうとしていると物知り顔で語る人。自分の地元でなくてよかったと笑いながら話す人。ガレキ処理をするといって高額の料金を請求した人。見もしないのに、政治が悪い、行政が機能していない、自衛隊に何ができると語る人。本当にいろいろな方に出会いました。
 しかし、被災した当事者の皆さんは不自由極まりない避難生活に耐え、すべてを失った悲しみを乗り越えようとし、それでも生き抜くぞと涙ぐましい努力を続けてきました。


 そして今、神戸は「新しい神戸」として生まれ変わりました。限りない支援と想像を絶する努力があったからこその復興です。
 復興に乗り出した神戸の人々の姿を僕の生きざまに重ね合わせた時、勇気づけられると同時に、自分の弱さを恥ずかしくも感じました。僕が今、粛々とではあるもののがむしゃらに生きているのは、あの時の神戸の人々との触れ合いがあるからだと信じています。
 僕は復興に力を合わせた皆さんに敬意を表します。皆さんの生きざまを自らのそれに投影することを誓います。未だに問題は残っていますが、きっといつの日か解決することでしょう。
 これからも、もっともっと素晴らしい街造りに邁進されることを信じて止みません。


 今日の午後、神戸では2時46分に本日二回目の黙祷が予定されているとのこと。18年前の被災地から2年目の被災地へ心を繋ぐ黙祷です。当事者にしか判らない心情まで伝わる祈りになるでしょう。


 がんばろう神戸。がんばろう東北。


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