∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

忘れない、あの日

阪神淡路大震災


 19年前の1月17日。まだ夜明け前の闇に包まれていた時刻でした。
 「地震やあ」。僕は東京の自宅で母から掛かってきた一本の電話に起こされました。まだボヤッとした頭に母の悲痛な叫びが響きます。テレビを点けると、NHKでようやく第一報が出たところ。大きな地震が起こったようだという程度で、具体的なことはまったく判りませんでした。とりあえず母に隣に住む叔父夫婦と一緒にいるようにと話して電話を切りました。


 その時から神戸の人たちの生活はすべて変わってしまいました。慣れ親しんだ街が、安住していた家が、いつも隣にいた家族が、生業としていた仕事が……。あっという間にすべてが崩壊、何もかも、一から出直しせざるを得ない状況に陥ってしまいました。


 同時に、日本の地震を始めとする災害対策をはじめとして、社会インフラ、防災意識など危機的状況に対して社会も個人の意識もすべてが変わり始めました。そして、16年後に起こった東日本大震災でその変化に加速度がつきました。
 今、何気なく使っているインフラも、思い起こせば、あの時に変わり始めたものが多いはずです。
 これまでは復旧から復興へ。復興から平穏へと脇目もふらず進んできましたが、19年たって、ようやく落ち着いて周囲を見渡せるようになったのかもしれません。
 生活のすべてを失ってしまうような大災害がもたらす被害は長い時間を掛けないと“過去”にならないということでしょう。
 地震の日まで、思いつくままに振り返り、今の自分の足元を見つめ直そうと思います。


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