∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

震災後の20年

【街作り、人作り】

 神戸の震災から20年。多くのことが変わりました。行政システムの迅速化。災害時対応の規模とスピードへの取り組み。緊急医療体制。福祉や介護への姿勢。報道姿勢。災害に対する庶民感覚。上げていけばキリがないほど。つまり、善意に解釈すれば、誰もがありきたりの施策や取り組みでは尋常ではない大災害に対応する出来ないという厳然たる事実に直面し、対応策を可能な限り作り直してきた言えるでしょう。
 しかし、一番変わったのは人々の意識ではないでしょうか。「大震災は、いつどこでどんな形で起こってもおかしくない」。この意識が芽生え、震災後の大災害に対しての姿勢を確定してきたのではと感じています。と同時に、いまだに「ここは大丈夫。何々だからどんな大災害に襲われても大きな被害は出ない」あるいは「危機感はあるが予算の問題がある」とか「寝た子は起こすな」という姿勢でいる場所や危機管理機構もあります。
 こんな災害に対する考え方の“ねじれ”が人災に繋がるはずです。

 あの地震から20年たった今、僕は神戸を中心とする阪神間の街は緊急時対応から復興への第一歩、新たに作り直された町並みが抱える現実、そしてこれから始まる人の心も含めた復興の集大成まで、すべての問題に対しての実験台になったように感じています。良くも悪くも、住みやすく愛着を持つことが出来、新たに人を呼び込むことのできる街作りや人作りと真剣に対峙した初めてのケース、それが阪神淡路大震災とその後の歩みだったのではないでしょうか。
 東北の復興の場で神戸の経験が役に立ってくれれば、亡くなった6400名の方々や被災した数百万人の人々の苦しみが報われるというものです。

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