∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あの人に聞いてみたい《その1》

戦艦武蔵発見と吉村昭

 「フィリピン海域の海底1000メートル付近に戦艦武蔵が眠っていた」。こんなニュースが飛び込んできました。発見者がマイクロソフトの共同創業者のひとりというところにも興味津々ですが、まずはストレートに武蔵発見を喜んだほうがいいのでしょう。

 このニュースに触れ、すでに亡くなられた方ですが、できることなら、ある方にこの出来事を聞いてみたくなりました。そうです、日本の記録文学に新境地を開拓した東京荒川区が産んだ小説家、吉村昭氏です。
 実は氏の小説は東日本大震災後。『三陸海岸津波』という本が初めてでした。明治29年と昭和8年の三陸津波、さらにはチリ大地震による三陸津波まで。三陸沿岸を襲った大津波を地道に調査し、規模から被害状況、人々の行動記録などを克明に淡々と描き切った記録文学の傑作であり、調査報道の原点とも言えるものでした。たった一冊読んだだけですっかりファンになってしまった僕は、その後『関東大震災』なども熟読しました。
 そんな氏の作品の中に『戦艦武蔵』というものがあります。武蔵が計画され誕生し、実戦に配備され、そしてフィリピン沖で撃沈されるという時の流れを氏ならではの丁寧で的確な取材を端正な言葉遣いでまとめられたものでした。戦艦というと大和という固定概念があった僕に新鮮な驚きと氏の筆致の素晴らしさに脱帽したものでした。

 そんな戦艦武蔵とその誕生関係者、そして乗り組んだ人々の一生を日本で一番良く知っているはずの氏なら今回の発見についてどのような意見や感想をお持ちになるだろうと思っています。引き揚げて未解明の部分にスポットライトを当ててみたいとおっしゃるのか、はたまた、そのままにして安らかに眠る英霊に敬意を払うべきだとおっしゃるのか。あるいは自ら潜水し、取材中に確認出来なかったところを実際に見てみたいとおっしゃるのか。実際にお話しをお伺いできればよかったのにと改めて感じています。

 それにしても、今回の武蔵発見も吉村昭氏の作品の普遍性を証明しました。数年後に荒川二丁目に誕生する吉村昭記念文学館にまたひとつ太い柱が出来たようです。

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