∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あの時から21年

【僕の人生感まで変えた忘れない日々】

 あの日から21年が過ぎました。その間に大切な人を何人も亡くし、大好きだった街の面影は失われ、社会の風向きも変わりました。
 都市部を襲う大災害に対する考え方を変えるきっかけになったとか、防災から減災へという言葉や、真の復興とは何かとか、心のケアこそ最重要課題といった言葉はあらゆるところから聞こえてきました。なかには「大したことはないのに大騒ぎしている」と言っていた人もいましたが、それも昔の話です。

 僕が生まれ育った街は21年前の今日、一瞬にして消えてしまい、まったく違った街に生まれ変わりました。そして自分が生きる環境は自分で作り出さないといけないということも学びました。

 ようやく街に落ち着きが戻り、復興という名の再開発も進んだ頃起こった大津波原子力発電所の崩壊の時には、きっと、あの時の経験が役に立ったはずと確信しています。自分たちの暮らしがいまだに順調とは言えないなか、「あの時の自分たちと同じような苦境にたってしまった人たちを救おう」と多くの人たちが支援を申し出たこともしっかりと胸に刻みこみました。そんななかで、ほんの少ししかお手伝いが出来なかった自分が情けなくも思っています。
 「今回の巨大な津波や汚染は、あの地震とは規模が違い過ぎて復興の参考にならない」と言った人たちの一面的な見方も、危機に瀕した人々がある種のパニックに陥っていたものと感じることができるようになりました。

 巨大過ぎる災害は何もかもを消し去ってしまいます。残るのは人の心だけ。懐かしくて、あったかい思い出を心のなかに仕舞い込んで、素晴らしい明日を夢見ながらガムシャラに生きること。僕がそんな気持ちで生きている人とのつながりを大切にしながら、一歩ずつ前に進むことこそ「生きる」ということだと信じるようになったのは、この21年間の時の流れが創りだしたものだと確信しています。

 、無念な死を迎えてしまった6000人以上の方々が天国から優しく守り続ける街、神戸よ、永遠に。そして、苦しさを糧にして生き抜いてきた人々に幸あれ。

[1904]