∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あれから5年。まだ5年

平成24年3月11日】

 今日、平成28年3月11日は、日本のすべての報道機関が東日本大震災関連のニュースを提供しています。きっと10年後も数は減るものの、あの日のことと現状を組み合わせて報道していることでしょう。
 5年前の今日、僕は南池袋から有楽町まで地下鉄に乗ろうとしていたところへグラグラッときました。幸い、揺れはしばらくすると静かになりました。何がなんだか判らないまま、予定を中止して自宅に戻ろうとしたものの40分もあれば充分帰れるところを5時間ほど掛けて帰り、荷物や家具を片付けた後、テレビを付けたところ、東京の被害なんてひと言も触れません。それよりも津波のことばかりが延々と流れ続けていました。最初はこの映像が何を意味しているのかも判りませんでした。しばらくしてようやく東北沿岸から三陸海岸に掛けて大津波が襲ったということが理解できました。
 そして次の日。今度は原子力発電所が損壊したという報道があり、地震津波放射能汚染という考えたこともなかった被害が僕たちに突きつけられたことを知りました。

 もう5年も経つというのにあの日から始まった混乱の時のことは昨日のことのように鮮明に覚えています。日本に住む人の誰もがそうだと思いますが、東日本大震災はいまだ歴史上の出来事でも、心の奥底に仕舞い込めることでもありません。まさに昨日のことなのです。

 5年前の3月から数カ月間、できるだけ時間をとって衣料品提供のボランティアに出掛けていましたが、さすがに生活のこともあり、やむなく中断したことがいまだに心の中に「ささくれ」となって残っていますが、あの時、伝聞ながらお聞きした被害に遭った方々の叫びに似た言葉は忘れません。

 ようやく復興への道が見えてきたような一面も出てきたように思っています。しかし人の心に残った記憶はいつになっても消えることはないはずです。否応なく生きてきた軌跡を奪われてしまった痛みには被災した人以外入り込めないところもあります。しかし、何年か経った時には「いい街だねえ。いい人達だねえ」と言われるようになっていると信じています。無念にも亡くなってしまった人々に報告をするためにも、そうあらねばいけないのです。まだまだこれから。今こそ、力を再結集させる時かもしれません。

 ご冥福を。そして笑顔を。

[1958]