∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

一月七日、七草粥……

【胃を休めよう、なんて】

 「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これぞ七草」。

 今日は春の七草。正月中に暴飲暴食で胃が荒れたのでそれを整えるために七草粥を食べる日でした。しかし、僕のように3日くらいから「体内の油が切れた」と騒いでいた人間にとっては「荒れてもいない胃を癒やしてどうなるんだ」と言いたくなってしまう行事であることも事実です。

 ものの本によると、七草は野菜不足になりがちな冬の間、雪の間から芽を出した草を摘んで食した「若菜摘み」が起源とも言われています。その時摘まれた野菜が7種類あったことから「七草」という言葉が生まれ、それらを朝食用の粥の具にしたことから七草粥が生まれ、習慣化したというのが時の流れのようです。

 そんな風習を覚えさせようとしたのか、子供の頃、祖母が七草粥を作ってくれた記憶が今でもうっすらと残っています。しかし、残念なことに、なんの感慨も感激も残っていません。「葉っぱが入った塩味のおかゆ」という記憶以外覚えていません。極論すれば、不風流といわれようが野暮と言われようが、僕にとって七草粥は単なる「野菜粥」でしかないのです。
 おせちは食べるものの、すぐに「油切れ」と叫び始める人間にとって「胃が荒れた」というのは自分の語彙にないもの。同じ粥なら中華粥のほうがいいと直感的に思ってしまいます。

 とはいえ、七草が出始めるということは、雪や枯れ葉の下には春が来ていることの証明です。寒さがいかに厳しくても、すぐそこまで春が来ているのです。その時まで我慢すれば、またのびのびと動き回れるはず。希望を捨てずに寒中を過ごすことにします。スーパーで売っているセットは促成栽培モノだなんてけっして思いませんからね。

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