∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

「あの日から23年」──その日まであと4日

【吉田浜の巨大堤防】

 昭和初期の阪神風水害、昭和30年台に発生した伊勢湾台風第二室戸台風……。神戸は台風と高波、そして山崩れや川の氾濫など自然災害に痛め続けてきた街です。
 そんな自然災害から街を守るために海岸線には二階建ての建物以上に背の高い堤防が連なっています。たとえば吉田浜のように造船所が近くにあり、景観を重視する必要がない所がその例です。また石井川や宇治川は必要以上と思えるほど川底が掘られています。もちろん山肌に住宅を建てる時は栗石やコンクリート製の防護壁で山崩れを防止するようになっています。

 しかしこれらの防災インフラは、すべて災害に襲われたあとで設置されたもの。実際に被害を与えた災害時には無防備の状態だったのです。当時の関係者も恐怖を体験したことで真摯に防災対策と向き合うことになったのではないでしょうか。

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 人間は災害に襲われ恐怖を体験した時、はじめて災害を防ぐ方法を意識し始めるものです。

 東日本大震災の惨劇も合わせて考えると、これまで人間はいかに防災への意識が低かったのかと思わざるを得ないと感じていらっしゃる方は僕だけじゃないと思います。
 しかも、あんな酷い災害はもう起こらないはずだから、防災といっても最小限で済ませたいと考えるのが常だったのではないでしょうか。大袈裟なことをして余計な批判を受けたくないという心理も働いていたのかもしれません。

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 防災と真摯に向き合うこと、特に土木関連のインフラの再構築だけでなく、ライフラインと都市の関係まで見直すべきだと気づいたのは阪神淡路大震災だったのではないでしょうか。
 「短期間で新しい街を再構築する」して、そこに住む人々が安住できる土地や住居を取り戻すことが「復興」だとすれば、「防災」は災害が起こる前に準備しておくことで、想定外の規模の災害に襲われた時のことを基準に考えるべきだとすべての人が気づいたのが阪神淡路大震災だったのではないでしょうか。

 阪神淡路大震災以降、日本の災害対策は根底から変わりました。その後、東日本大震災を経験し、今では減災という概念も定着しました。

 何もない時には大袈裟に見えるほどの防災インフラ。災害が起こった時にその被害をできるだけ低減させる方策。そして被災した人々を救援するための官民挙げての取り組み。もちろん報道姿勢にも大きな変化がありました。

 次に未曾有の大災害が起こった時には、今の防災と減災への取り組みが功を奏することを祈るばかりですが、「人の意識」がどこまで変わったのか……。「どうやって人を助け、生活を取り戻させるか」が次の課題ではないでしょうか。

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