∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

最大の悲劇は災害の後に起こる

【人災こそ災禍の元】

 人間は想像もしなかった突然の出来事に遭遇した時、既知のことと結びつけて思考を整理しようとします。
 それでも整理できない時、多くの人は一時的に理性を失ってしまいます。たとえば、いつもなら心象の深層に押し込めている何かに責任を押し付けたり、誰かが発した事実とは異なる言葉に撚りどころを見つけたり、自分だけが知っていると虚言を唱えたりするわけです。

 最大の悲劇は災害の後に起こるものです。このようなデマ、風評、虚言は、本当は叫びを発信したいけれど発信できないような状況に陥っている当事者からではなく、理性を失った被災者以外の人からのものが一般的だと言い切ってしまってもいいでしょう。
 しかも、従来なら小さな集団の中で収まっていた行為でも、SNSの発達とともに不特定多数の人々に拡散するようになったのはご存知のとおりです。

 阪神淡路大震災の時と比べ東日本大震災ではスマートフォンが爆発的に広がりつつあった時代でした。SNSでもツイッターが情報拡散に大きな力を発揮しました。
 理性を失った人が発信したひと言が拠り所に飢えていた「不安な人々」に圧倒的な影響を与えました。それに比べ、SNSの効果を測りかねていた行政や危機管理機関が発信するようになるまでには時間がかかりました。つまり正確な情報源は従来と同じようにテレビ、ラジオ、新聞に限られていたと言っても言い過ぎではなかったのです。

 つまり「被災者と救援者と支援者以外の外野だけが大騒ぎしていた」わけです。

 本当に助けを求めている人たちからの叫び声はどうしても目立たないというのが世の常とは言え、冷静さや理性を失ってしまった人が発するひと言は、大袈裟であればあるほど想像以上の影響力を産むものです。

 そんな声に多くの人が翻弄されました。7年経った今でも心に刷り込まれたままになっている方も多いと思います。

 救助の失敗のような、真剣に物事に立ち向かっていた時に起こってしまった人災なら諦めることもできます。しかし、理性を失ってしまった人が発信したデマや風評や虚言で傷つけられた心は癒やすことができません。
 東日本大震災でも、そんな発信に苦しんだ人が多くいました。また逆に、真実を知ってほしいと発信しても、偏見を植え付けられた人には聞き入れてもらえないと感じた被災者も多くいらっしゃいました。

 SNSが発達した今、人災の元は過激な偽情報の発信と受諾にあると言っても過言ではないでしょう。そしてこれこそがもっとも警戒しなければいけない「卑劣な人災」です。
 ある程度の避難方法を知るようになった今、もっとも身につけなければいけないのがサイバー領域を使った人災ではないでしょうか。

 3月11日。東日本大震災で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。どうぞ安らかに。

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