∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

2001年9月11日8時46分

アメリ同時多発テロ

 勤めていた出版社で最後の職場に異動して、新しいスキルを積むために毎日のように終電で帰宅していた僕にショッキングな映像が飛び込んできました。

 ニューヨークのワールドトレードセンターの上層階に飛行機が突っ込み大火災を起こしている。

 最初に見聞きしたのはこのシーンでしたが、その後、突っ込んだのはハイジャックされた旅客機だということ、ワシントンDCではペンタゴンがアタックされたこと、ハイジャックされたのは4機だということなど続々と状況が報道されはじめました。
 そして1時間ほど経った頃、WTCが上層階から崩壊、ローワー・マンハッタンが大パニックに陥っている映像が飛び込んできました。

 この状況をどう理解すればいいのかも判らず、茫然自失の体でテレビの映像を見ていた僕の頭の中に「あの人たちは大丈夫なんだろうか。あのデリはどうなっているんだろう」という不安に満ちた心配が浮かんでくるようになったのはこの大パニックが起こってすぐのことでした。

 このテロが起こる4年前、僕はWYCの最上階にあるレストランを取材していました。こんなことになるとは想像もしなかった僕とスタッフは、マネジャーとの挨拶を済ませ、プレス担当にインタビューし、フードや内観の写真を撮理、取材が終わり引き上げる時にも特別な感慨なんてなかったことを覚えています。唯一思ったのは「ここから少し歩いてトライベッカのカフェでブレイクしたいな」という仕事中とは思えない不謹慎なものでした。

 あの日出会った人たちをはじめとして、数多くのお世話になった人たちは大丈夫だろうか、よもや最悪のことにはなっていないだろうな……。頭の中は小さな思考のカケラが飛び交うばかり。何の手助けも出来ずに映像を見ているだけの自分が情けなくなってしまったのを覚えています。

 次の日。ほとんど眠らずに出社した僕の周囲には仕事が手につかないスタッフが状況説明や私見を話しかけてきました。そんな中、僕の結論は「これは戦争になる」。半信半疑で聞いていた人間もいましたが、アメリカ人がこの蛮行を許すわけはないと確信していました。

 あれから17年経ちましたが、あの時の映像は頭の中に鮮明に残っています。ちなみに、にこやかに応対してくれたレストランの人たちの安否は未だに判りませんが、無事に逃げ果せたはずと信じることにしています。

 無防備なまま亡くなった方々、突然愛する人を失った方々、そして献身的に火災と戦いながら命を落とした方々。

 すべての方々に改めて哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

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