∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡24回目の“あの日”≡≡

忘れてはいけない日々の始まり

──黙祷──

 平成7年1月17日5時46分。神戸に大地震が襲いかかりました。阪神淡路大震災の発生です。

 まだ電話が通じていた朝6時頃、親戚の家と隣り合わせとはいえ、一人住まいをしていた母から「地震やー。怖い。まだ揺れとる。家が壊れそうや」という電話が掛かってきた時、東京に住んでいた僕は実際の状況が判らず親戚の家族と一緒にいるようにと応えるのが精いっぱい。判ったのは親戚も含め誰も犠牲になっていないということだけでした。
 地震直後で、テレビでも「神戸を中心にして大地震が発生した模様」としか報道されていなかったのです。

 当時唯一の連絡手段だった電話が不通になってしまった二日間ほどはどうしようもない不安の中で過ごしましたが、ある程度の状況が報道されるようになり、被害の甚大さを知ることができるようになりました。
 と同時に、その状況に立ち向かうスベを持たない自分を情けなく思ったことを記憶しています。

 その後、小学校に避難していた母たちと再会した後の数カ月、僕はほぼ二週間に一度神戸を訪れることになります。
 そこで見聞きし体験したのはすべて呆然とすることばかりで、その場しのぎの対応以外、どう対処すればいいのかも判断出来ないことばかりでした。
 行政も自衛隊も救急も警察も、危機管理に当たっている人たちのすべてが身を粉にして動き回ってくれているのを見つめるだけで、母たちに「僕もここにいる」という安心感を与えること以外、何も出来ないと悟ったのはこの頃です。
 同時に、報道の限界、通信が生きる力になること、大災害に備えるための見えない努力の大切さ、途方もない努力を強いられた生き残った人たちの寛容さなどを知ったのもこの頃でした。もちろん、風評の卑劣さや怖さ、大災害を喰い物にする商法なども知りました。

 “あの日”から24年。

 このブログが3000日3000回に達した今日、“あの日”を取り上げることが出来たのも何かのご縁かもしれません。

 無念にも亡くなってしまった皆さんに改めて黙祷を捧げるとともに、自分のことは後回しにして動き回ってくださった多くの人々に敬意を払いたいと思います。
 安らかにお眠りください。そしてありがとうございました。

[3000]