∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 改めて実感 ≡≡

読書は体力だ

 大部な文献を読み始めて通算数時間。全容が見えない今、感じていることは「読書は体力だ」ということだけです。

 つまり「ヘトヘト」なんです。

 小休止を取っている時に、学生時代に出会った情けない思い出しか残っていない二冊の本を思い出しました。
 一冊は埴谷雄高の『死靈』。思想家が著した長編哲学小説ということで覚悟はしていましたが、その難解さには圧倒されるばかり。体力と意地で読み切りましたが、極度の疲労感と読了した満足感が入り混じった複雑な感情しか残らず、情けない思いを抱いたことを覚えています。
 そしてもう一冊はロラン・バルトの『モードの体系─その言語表現による記号学的分析』。佐藤信夫氏が訳されたもので、訳者序文に始まる「敷居の高い」一冊でした。なんとこの本、あろうことか僕はその序文の2ページ目を読んでいる時に寝落ちしてしまったんです。つまり、それまでに読んでいた小編とは大違い。体力が難解さに圧倒されて、僕の能力がオーバーヒートしてエンストしてしまったわけです。
 この二冊と出会って以来、僕は「読書は体力勝負。本は読み易いものに限るナ!」と思うようになりました。とはいっても、安直なものはご遠慮させていただいていますが。

 余談ですが、これらのことがトラウマになっているのか、「世界中でこの小説を読破した人間がどれだけいるのか」という負け惜しみの声ばかり聞こえてくるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』はいまだに読んでいません

 いま読み込んでいる本が大部なだけで難解な表現をしていない点には心から感謝しています。走り読みしか出来ないにしても「内容の上辺を話題にする」ことくらいは出来そうな感じです。

 サッ、読みに戻ります。ではまた明日。

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