∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 災害は現場を知るプロに任せる ≡≡

新型コロナウイルスの市中感染と
阪神淡路大震災時の対応

 新型コロナウイルの市中感染が確実になって以来のニュースでは、感染症の怖さを甘く見ていた政府の対応の拙さに多くの時間が割かれるようになってきました。
 ひょっとすると報道関係者のトップクラスから「必ず甘さが露呈するから、今から準備しておくように」というような指示が出ていて、ここからは「あの時点での対応に問題があったのでは」という切り口のニュースが増えてくるんじゃないかとも感じる話題もいくつかありそうです。

 それはさておき。

 今回の市中感染までの成り行きを見ていて、阪神淡路大震災が発生した時のことを思い出してしまいました。

・断片的な情報しか入ってこないのを“無能な現場”のせいにして椅子に座りながら「まずは正確な状況判断から」と言い続けたこと。
・状況が判ってきても「当初の復旧は現場努力に任せ、体制作りと資金確保の準備をしておこう」と判断したこと。
・齟齬が出てくるとまず最初に“取り繕い方”を決めていたこと。
・固定概念に基づいたルーティーンワークのワザを駆使して“アラ探し”に多くの時間を費やして、現場を歩き回って事実を掴もうとしなかったこと。
・最前線の情報に基づいた対応を評価せずに、あらゆる意味でオカミの判断しか受け入れなかったこと。

 地震直後に感じた現場と意思決定層の意識の乖離が今回も起こったように感じています。未曾有の災害に直面している現場の人間と、現場からの悲痛な声を自らが解決すべきことと感じずに、前例と規約に基づいた判断しかできない意思決定層。こんな図式が今回も繰り広げられているように感じています。

 今回の“災害”が収束すれば、ある程度の新たな指針や法律が施行されるでしょう。たとえば、阪神淡路大震災の全貌が見渡さるようになってから起こった東日本大震災のように次回何か起こったときには活用されるでしょう。
 しかもSNSが一般的になって、直面している人間からの“生の声”が聞こえるようになっています。そのおかげで、以前よりは“前例主義”は改善されるかもしれません。ですが、それでも現場判断には制限が掛かるはずです。
 「いくら現場に直面しているからといって、専門家でもない人間が着手して何かあっても責任は持たないぞ」と“錦の御旗”を振りかざすことしか出来ない人間はいつの時代にもいるのですから。

 今は、あの地震のときと同じように「ことの推移を見守りながら、自分の身は自分で守る」ことが最善なようです。


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