「我慢」と「辛抱」
【我慢】
[1]感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。
[2]《仏》実際には存在しない我が自己の中心にあると考え、それを根拠として行動する思い上がった心。おごり高ぶり。我意を通すこと。わがまま。強情。
【辛抱】
耐え忍ぶこと。じっと我慢すること。
(2語ともWeblio・三省堂大辞林第三版より抜粋)
ツイッターを見ていたら、日曜日早朝のテレビ番組で磯野貴理子さんが石倉三郎さんの著書で述べられていた「我慢」と「辛抱」の違いを例にとって「今は辛抱の時なんだよ」と発言したことに多くの共感が寄せられているというコメントに目が止まりました。
なるほど。同義とも取れる二つの言葉だけど、漢字の意味や語彙の根拠や心情まで突き詰めていくとこういう発想も出てくるんだと感心してしまいました。
辛さを抱くと書く「辛抱」は自ら辛さを抱え込んで堪えるさまである一方で、「我慢」は心の奥底に潜んでいる自意識が我を通しているさまと読み取れます。
勝手に解釈すれば、「我慢」はワガママの発露、「辛抱」は言葉を発せずに耐え忍ぶことと捉えることも出来ます。
新型コロナウイルスについてのコメントを続けてきたこのブログではずっと「我慢」という単語を使い続けてきましたが、どうも言葉選びが浅はかだったようです。「辛抱」と言うべきところも数多かったと反省しています。
大声で叫んだところで何かが劇的に変わるわけではない今は、状況を把握しながら、静かに耐え忍ぶ時だと改めて気付かされました。
ということで、これからは「我慢」と「辛抱」を使い分けていきます。コロナ関連で使い分けをするとお伝えするのは、発した組織や人に責任が生まれる「発令」と、単に発表する行為に近い「発出」に続いて二つ目です。
さあ。辛抱しましょう。もう少し、もう少し。
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