オマエは、まだ生きていろ!
─オマエはまだ生きていろ!─
ただし、充実したものにするか、それとも苦渋に満ちたものにするか、あるいは懺悔を繰り返して涅槃を気取るかはオマエ次第だ。
不慮の病でかけがえのない人生を終えることになった人々が病床で抱いていたはずの虚しさや悔しさや辛さを自分のものとして生きていけ。その霊に敬意を払い続けろ。オマエにもその順番が回ってくるかもしれないが、その時まで静かに暮らしておけ。
生きている。生かされている。
人生を謳歌している。人生を生き抜いてきた。
人生はその時に置かれた状況によって、いろいろな言い方で表現されます。小説家やミュージシャンなどの表現者にとっては、その表現こそ腕の見せどころといってもいいことでしょう。
鮮明とは言えないまでも、僕自身も自分自身の置かれた立場をいろいろな言い方で自分自身に言い聞かせてきました。
そして今日、家から出ずに空回りする時間を過ごすなかで、これまで考えたこともなかったもうひとつの言い方が頭の片隅に浮かんできたのです。
それが「生きていろ」だったのです。
「生きている」が能動的だとすれば「生かされている」は受動的。それに比して「生きていろ」は命令です。
ふと頭の片隅をよぎった思考でしたが、ひょっとするとこれは、思いもしなかった病を患うこともなく、幸運にも生きてるんだから、亡くなった人々のためにも、苦しくても精いっぱい生きろという天の声だったのではないかと思うようになっています。
こんなときだからこそ、病に侵されるかもしれないという得体のしれない恐怖心とともに、諦めずに精いっぱい生き抜いてやるという気概を忘れないことが大切と改めて心に刻み込んで日々を過ごしていくことにします。
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