∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 辛抱、辛抱 ≡≡

我慢を抑えて辛抱を

 先日、今は「我慢」のときではなく「辛抱」のときと書きましたが、仏教の世界ではどう解釈しているのだろうと調べてみました。

【我慢】自分を偉いと考える我儘な心。慢心。
【辛抱】本来は心法と書かれていた語で、心を修め、練り鍛える方法。芯棒とも書く。
 我流ながら、心の趣くままに自我を通すのが我儘で、目標達成のために苦しさに耐え忍ぶのが辛抱ということになるのではと解釈しました。

 我慢を控え、辛抱に徹する。

 仏教用語を知ったところで、今の自粛生活を耐え忍ぶには辛抱するしかないと改めて知らされたような気持ちになっています。
 仏教の世界では「心とは器のようなもの」と考えます。その器、つまり心が大きれば大きいほど万物を取り込むことが出来るとされているわけです。その思想に立脚すれば、自身の度量を鍛え、心を広くするためには辛抱が必要であるということになります。

 正直なところ、辛抱というのはなかなか難しい境地のようです。しかし、自粛が続く今、必要なのは辛抱だということは判りました。あまり実行できる自信はありませんが。
 僕には「ときに我儘、ときに辛抱」程度が精いっぱいかもしれません。

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