∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ どこまで我慢すればいいのですか ≡≡

敬意を払うべきこと
唾棄すべきこと

 2月の終わり頃だったでしょうか。新型コロナウイルス蔓延が深刻になってきた頃のことでした。このブログで、対象を曖昧にして「文句や非難は言わないことにする。言えばそれだけ自分のストレスが増える」といった内容を書いた記憶があります。

 当時は事態がここまで深刻になるとは思ってもいませんでした。しかし今では、医療関係者の死力を尽くした努力と、自分たちの意識改革で、病気そのものは抑え込めるだろうと思えるようになってきました。
 しかし経済状態や社会情勢はどうなったでしょう。個人の生活はどうなったでしょう。ウイルスと現場で闘っている医療関係者以外の専門家や公僕や政治家も、発想の転換をしながら前例のない事態に立ち向かうようになったでしょうか。自らの保身や損得勘定で行動していないでしょうか。

 感染防止で辛抱するのは腹に収めましょう。しかし、前例優先・保身第一・マイペースを第一義に置いて事態に当たっている人たちのことには呆れ返るばかり。我慢するにも限度があると言いたくなっています。

 言いたくないことですが、あえて言わせていただきます。

 「社会にどれだけの“ひずみ”や“苦悶”や“悲鳴”が広がろうとも我関せず、体制堅持こそ我が人生」なんてことは考えていらっしゃらないでしょうね。
 いま市井の人間が辿るであろうこれからの人生は、皆さんの高い能力や想像力、そして公僕としての意識に委ねられているということをお忘れなく。

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