∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ ゴールデン・フリースよ、どこに行く ≡≡

ブルックス・ブラザーズUSA経営破綻

 数十年前の話です。
 大学を卒業し、その後長く勤めることになる出版社に初出社した日、僕はチャコールグレイの“三つボタン段返り“スーツと黒のウイングチップシューズ、そしてブルーストライプのオックスフォード地ボタンダウンシャツにストライプのネクタイという出で立ちで望みました。

 この時着ていたボタンダウンシャツは当時注目の的だったアメリカ直輸入のものでしたが、入社祝いに買ってくれた祖母はその価格が異常なほど高価なことに驚いていたのを覚えています。

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・1620年、メイフラワー号に乗って新天地を目指したピルグリム・ファーザーズが北米大陸東部に入植。
・1776年7月4日、宗主国だったイングランドとの独立戦争に勝利して以来東部13州を核として領土を拡大。
・1818年、21州がアメリカの領土となる。
・1955年、アメリカの国際衣服デザイナー協会IACDがスーツスタイルのひとつとして『アイビーリーグ・モデル』を発表する

 黎明期のアメリカ、高い政治理念を原動力にして国力を拡大し続けていた“若きアメリカ”で国を支えていた人々はワスプ(WASP:White Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれていました。
 そんな、国を導く人々が「リーダーが着るべ服」としていたのがブルックスブラザーズでした。ロゴマークは金色に輝く羊のイメージした『ゴールデン・フリース』。いわば、ブルックス・ブラザーズアメリカの黎明期を支えた支配層が愛用するメンズショップとして育っていったのです。
 リンカーン大統領が就任演説時に着ていたコートしかり。オックスフォード地のボタンダウンシャツを愛用したJ.F.ケネディしかり。歴代大統領を頂点にしたアメリカ支配層が愛用するブランドと言えばブルックス・ブラザーズだったわけです。
 ちなみに、ワスプの師弟がアイビーリーグと今も呼ばれている大学に入学するとブルックス・ブラザーズの衣類を季節ごとに送るのが習わしだったとも言われています。この習慣が「アイビーリーグ・モデル」という言葉の語源なのではと推察ています。

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 中小業者がハンドキャリーで並行輸入したシャツや小物が、東京を中心にした輸入雑貨店の店頭を飾るようになった頃、このブランドを憧れの目で見ていた少年がここにいます。

 「ブルックスのシャツは仕上げ用に蛍光剤の入った糊を使ってないからコットンの風合いがそのまま出ている」とか「ボタンの付け方が日本製とはまるで違う」というようなミニ知識を仕込むのが楽しくて仕方なかったのもこの頃でした。

 そんな憧れを実現させてくれたのが「おばあちゃんが買ってくれたボタンダウンシャツでした。日本総代理店が誕生した頃、僕は祖母の力を借りて並行輸入しかなかった時代に買えなかったシャツを手に入れたわけです。


 そんなブルックス・ブラザーズも時代の趨勢には勝てませんでした。
 いや、あくまでも経営的にと言い直しましょう。スタイルやマインドが消えたわけではないのですから。

 テレワークが浸透してスーツが“定められた仕事着”から“楽しめるおしゃれ着”に変身しようとしていた矢先だというのに……、これも時代の流れなんでしょうか。

 破産法を申請して苦しい道を歩むことになったとはいえ、たとえば、エディー・バウアーやアバークロンビー&フィッチ、ティファニー&CO.やコーチ、あるいはステューベングラスがそうだったように、適切で紳士的な支援さえあれば、新たな時代を歩み始めると信じています。

 ゴールデン・フリースが蘇る日を心待ちにすることにします。

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