∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 危険水域接近 ≡≡

政治や行政に責任転嫁しても収まらない
防ぐもうつすも自分次第

 東京では今日も新型コロナウイルス新規感染者が200人を越えました。乏しいながらも提供された内訳を見ると若年層が7割程度、感染経路不明は5割以上とのことです。
 この数字を知った都民のなかからは「特別緊急事態宣言を出すべき」とか「なぜ休業要請を出さないのか」といった声も上がっているようです。

 でも、それでコロナを抑え込めるのでしょうか、僕はそうは思えません。

 そもそも「コロナと共存する」という指針が示された時点で、僕は政府はコロナをインフルエンザやノロウイルスと同格の扱いにしようとしているなと感じていました。
 これまで毎年のように流行を繰り返しているインフルエンザやノロウイルスはどんなに感染者が増えても、医療と個々人の意識と時間の経過に任せて収束させてきた歴史を振り返ってみてください。
 「コロナと共存する」という指針を「経済活動を止めずに大流行中の感染症を収束させる」と読み替えればいいのかもしれません。当然、よほどのことがない限り、緊急事態宣言や休業要請も出ないと思っています。

 角度を変えると、政府や行政は緊張のピークを越えて、ここまでの数カ月で得た知見を応用したり、医療の基礎研究の進歩を見越したりすれば壊滅的な社会崩壊は防げると判断したのかもしれません。

 と、なると。

 感染予防も伝染させるのもこれまで以上に個々人の向き合い方や対策にかかってくると考えるのが合理的でしょう。

 僕は数カ月前に覚えた「マスク、手洗い、接近不可」の法則を守るしかないと判断しています。
 もちろん、未知のものに対する恐怖以外にも“諦め”や“本能的な自己防衛反応”“怒りを通り越した義憤”を感じることもありますが、結局は“自重”や“自律”で乗り切ることしかないと思っているのです。
 “力をセーブする”とか“人生同様、動きは8掛けで”。あるいは“撒き餌を控えて一本釣りに徹する”。コロナと共存する秘訣はここにあるなと思い始めています。

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