∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 自粛継続 ≡≡

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コロナ禍は緊張感のなかで過ごすしかない

 「自粛と言われても実感がわかない」「しっかりと感染予防すれば大丈夫でしょ」「せっかく予約したんだから」「夜はノーマスクで大丈夫」「コロナと倒産ならコロナを選びます」「罹っても黙っていれば平気でしょ」「お願いだけで誰もが従うと思ったら大間違いでしょ」……。

 感染者数の増加が著しくなるとともに重症者も急激に増加している。同時に重い後遺症が残ることも多く報告されるようになっている。それに対して、国も自治体はお願いベースで対応し、個々人の意識に任せた処置で乗り切ろうとしている。そう考えている人が増えているようだ。おっしゃるとおりである。

 市井の人間には“お上”の言動を判断する第六感が備わっているように思う。その本能的な感覚からいけば、現在のコロナ禍対応は、誰もが納得するような対策を打ち出すどころか、駆け引きや予算の温存のほうが先に立ったものと映っても致し方ないだろう。平たく言えば「言ってるだけじゃん。このままじゃ、コロナに罹る前に経済的に破綻して死んじゃうよ」ということになるかもしれない。

 いま一度思い出してみよう。国が目指すのはコロナとの共存である。ひねくれた味方をすれば、経済を守りながらコロナと対峙するためにはある程度犠牲者が増えてもやむを得ないということになる。

 そう思わせるような対策が目立つ今、コロナに罹りたくないと考えている人間は国や自治体の政策に頼らず、できるだけの予防策を講じたうえに、緊張感を欠かすことなく、用心に用心を重ねることしかないのかもしれない。

 今の状態、どこまでこの緊張感に耐えられるかのテストを自分に強いているような気がする。

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