政治に不可欠な感覚を
見せつけられた演説
コロナによって毎日500人以上の国民が亡くなっているドイツでメルケル首相が議会で行った演説を知り、政治に不可欠な感覚を改めて知らされたような気分になっている。
「クリスマスシーズンを楽しむ代償に1日に590人が亡くなるというのは、私には受け入れられないことです」。
「クリスマス前に多くの人と接触し、その結果、祖父母と過ごす最後のクリスマスになってしまうようなことは許されない」。
クリスマスを目前にして、コロナの恐ろしさや対処方法や厳しい対策を、感情もあらわに演説する姿は議会でも称賛を得たようだ。
コロナ禍が広がるにつれ、ニュージーランドのアーダーン首相や台湾の台湾の蔡英文大統領といった女性政治家の統率力の高さに注目が集まっている。女性への偏見という“ガラスの天井”を突き破ってトップに就いた人だけのことはあると評価する人もいるが、私は今回のメルケル首相の演説を聞いて、3人のトップリーダーに共通した政治感覚があるのではと思うようになった。
3人共、国民に対するメッセージのなかに“生活感”が色濃く反映され、政治的な駆け引きや勢力分析などが入っていないのだ。
いかに安全保障や経済の安定が重要だとしても、まずは国民目線でモノゴトに対峙しようとする姿勢は日本のトップリーダーには見られないものである。
日本では神聖な国政の場に生活感や個人的な感情は持ち込まないのが一般的。たとえコロナ禍と言う危機のなかでもその姿勢は変わらない。
日本的な政治フィルターで国政をコントロールするとしても、時と場合と限度というものがある。いまさらかもしれないが、コロナ禍の影響を最低限に抑え込むために不可欠なのは国民と同じ目線に立った生活感ではないだろうか。
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