▲『穀雨』‥光り輝き、雨が芽吹きのきっかけに
気になっていた言葉を
緊急事態宣言に当てはめてみると
『自分事』:近頃使い始められた新語で意味は「他人事(ひとごと)の対義語として使い始められたもので、我がこと、自分が関与していること」。なお「他人事を(たにんごと)と読むのは間違いである。
私がこの言葉の存在を知ったのは数週間前。都知事が人々の間でコロナ禍に対する慣れと気の緩みが目立ち始めたことを指摘した時のことだった。
ニュースの街頭インタビューを見ていると、4月25日に発令される緊急事態宣言について「何度もやって効くんでしょうか」とか「中途半端だからロックダウンしたほうがいい」という言葉が多いことに気がついた。
素直に受け取ると、宣言を機に自ら感染拡大を抑える行動に出ようという能動的な意思表示よりも、政策次第、いわば“お手並み拝見”的で受動的な捉え方と感じさせるコメントが多い。つまり、新規感染者が増え続けているコロナ禍を自分事ではなく他人事と捉えている(あるいは捉えたい)人が増えているわけだ。
たしかに、掛け声倒れの政策が多くて、結果は限定的という状態が一年以上も続けばこんな冷ややかな対応にもなるだろう。
だがしかし、もし今回の宣言の核になっているのは“人流を抑える”ことで、それを実現させるためには市民の行動変容が不可欠だと繰り返し強調してくれれば人々の反応はどうなっただろう。
「厳し過ぎるが、お上のいうことだから」と諦めるのではなく、「収束させるためにもう一度挑戦してやろう」と思えるような“誘導”が政府にあれば、少しは人々の中に“自分事”として考える姿勢が芽生えてくるのではないだろうか。
政治家が人々を誘導し、官僚がそれを現実のものにする。そうすれば市民は自分事として協調出来る。
今、必要なのはこんな発想ではないだろうか。
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