▲『穀雨』‥光り輝き、雨が芽吹きのきっかけに
私はそれでけっこう
生兵法は大怪我のもと
・毎日のように過去最大の感染者数がカウントされている。
・毎日のように変異株の強さや後遺症の恐ろしさが報道されている。
・まん延防止措置を要請しようとする自治体が増えてきた。
・外だから。マスクをしているから。
・こんなに人がいるなんて思わなかった。・我慢できなくて。
・用を済ませたらすぐ帰るから。
・私は罹らないから。若いと罹っても軽いから。
ニュースを見る限り、コロナ禍の危機的な状況とは裏腹に、人々の気持ちはどんどん感染予防の“シバリ”から離れていっているようだ。
今の状況をみると、今回の緊急事態宣言は延長されることになるかもしれない。それも法に抵触しないギリギリの制限付きで。
1年以上コロナ禍と付き合って分かったのは、一般論でいう「危機的な状況に慣れると人はそれが当たり前だと考えるようになる」ということかもしれない。そんな風潮が蔓延すると、冷静に捉えれば“逃げ道”なのに、これくらいなら大丈夫と自己判断を下すようになり、それが強かな生き方と思うようになる。
逆に、罹ると厄介だからできるだけ仙人のような生活を送る人を不器用な人と決めつけるようになる。
『生兵法は大怪我のもと』という言葉がある。中途半端な知識や技術に頼ると、かえって大失敗をするということのたとえである。
コロナ禍がこれまでの経験値では判断できない状況になろうとしている今、もっとも気にかけておきたい言葉ではないかと思うようになってきている。
今こそ、もう一度初心に戻って“正しく怖がる生き方”を実践する時ではないだろうか。
私は、あえて「正直者がバカを見る」暮らし方に戻ろうと思っている。
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