コロナは人の本性をあらわにする
ヒトはタテマエと本音を使い分けながら生きる動物である。だが同時に理性の力で自分の欲求を抑えることの出来る動物でもある。
どうもコロナ禍はヒトから理性を奪い取る病でもあるようだ。
ワクチン接種が本格化し始めた途端に自分の地位を利用した“抜け駆け接種”。入院治療が難しいことを知りながらその地位を利用して裏口入院した例。いつもの発言とは裏腹に多くの人が集まる会合を主催した例。わざわざ大人数のイベントに参加した例。夜陰に紛れながら飲酒という自由に身を任す例。
理性はヒトが自分を律するために備わっている本性のひとつである。知性でもなければ感情でも、人望でも、剛力でもない。
日々の生活のなかでは目立つことのないもので、いわば心の心柱になっているものといってもいいだろう。
しかしこの理性という本性は、雑念や欲が強くなれば強くなるほど失われていくという厄介な特徴ももっている。
なんとかしてコロナに感染したくない、罹ったらまともに医療サービスを受けたいと思う人が続出するのも致し方ないのかもしれない。もちろん地位を守りたいとか、収入を維持したいということだってあって当たり前だろう。
だが多くの場合、理性を失ったヒトは、みっともなく貧相で悲しい人物に成り下がってしまうものだ。
特に周囲が同じような悩みに苦しんでいる時に抜け駆けしようとした場合は、たった一回理性を失っただけで蔑まされる対象に成り果てしまうものだ。
コロナ禍が続く限り、理性を失うヒトは続出し続けるだろう。どこかに理性を保つクスリはないものかと探したくなってしまう。それとも人間なんてこんなものと達観するべきなのだろうか。
・───────────────・
『立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0513 - 3780]
・───────────────・