いつの時代も
裏付けなき精神論が「失敗の本質」
オリンピック開催に向けての準備が活発になってきた。中止するかどうかの議論が必要だとしても、いざ開催するとなった時の混乱を避けるためにもリハーサルなどは行って当然のこと。スケジュールから逆算すればそろそろ動き始めて然るべきだろう。
だが、しかしである。
どうもすべての動きが“神経を逆なでする”もののように感じられるのはどうしてだろう。
今の進み方は、もし通常開催されていたらこうしていたはずという仮定スケジュールを上書きしているだけのような気がしてならない。
ひょっとすると、国や都やJOCは、議論どころか、浮かび上がってくる反論や反発をのらりくらりとやり過ごしながら、実績を積み重ねながら開催への機運を高めていくという戦略を取っていたのではと疑いたくなる。
もっと悪く考えれば「国民からの応援や支持をもとに機運を高めていこう」などという正攻法ではこの難局は乗り越えられない。“なし崩し”でも“見切り発車”でも“時間切れ”でも構わない。どんな手を使っても開催しようと目論んでいるのではとも考えたくなってしまう。
オリンピック開催に問題があるのではない。携わっている人たちが国民目線で訴えかけてくれれば疑念も溶け、開催に向けての機運も高まってくるだろう。しかし、我が道を往くことしか頭にない彼らには、そんな姿勢は屈辱的でしかないのかもしれない。
このブログでは何度か登場してきたのでいまさらだが。改めて、一冊の本の提案をしておこう。
もし「嫌われ者になってもいいから開催するんだ」と決意しているのだったら、なぜ太平洋戦争で敗れたのかをまとめた『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』を読んでクールダウンすることをお勧めする。
検証することもなく、あらかじめ決めていた構想を精神論だけで推し進めた時の失敗がどれだけ悲惨なものになるのかが分かるはずだ。
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『小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0603 - 3800]
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