∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 違和感ある思考回路 ≡≡

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ふと頭に浮かんだ『三方よし』の経営哲学

「自己責任だから罹ったら責任取りますよ」。
「予約が取れないから打つの止めました」。
「暑くて息苦しいからマスクはやりません」。
「基礎疾患があるからワクチンは接種しません」。

 数カ月前、まだコロナ禍が今ほど深刻ではなかった頃、「コロナはただの風邪」、「私は元気だから罹らない」、「若いから罹っても軽くすむ」という声を聞くことがあったが、さすがに近頃は聞こえてくる声にも変化が出てきたようだ。
 今の状況を我慢しながらしのいでいる人間に言わせれば、いづれにしても、身勝手な行動を正当化しようとしているだけじゃないかと言われること確実だが、以前と比べて、身勝手さがより具体的になっているように感じている。

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 こんな声を聞いていて、前触れも何もなく、江戸時代に始まる近江商人の経営哲学が頭の中に浮かんできた。

三方よし』。

 近江商人とは、鎌倉時代に発祥し、江戸前期からは近江地方を拠点にしながら全国各地へ行商に出掛け、日本の小売業の基礎を築いた人たちのことである。彼らは行商でもっとも大切なのは信用と悟り『三方よし』という経営哲学を築き上げた。いわゆる「買い手よし、売り手よし、世間よし」の思想である。

 この思想は「相手よし、自分よし、みんなよし」と言い換えられながら伝えられてきたが、今では企業の社会的責任や社会貢献などを問うCSR(Corporate Social Responsibility)を平易に言い表すものとしても使われるようになっている。

 つまり、企業が身勝手に自己利益ばかりを追い求めず、買い手の満足感はもとより、その活動が社会に与える影響にも責任をもつことで、企業の永続性、ひいては持続可能な未来を築く原動力になるものと理解されるようになっている。

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 この哲学をコロナ禍にはびこる身勝手な言動に当てはめると、いつも感じていた違和感に答えが出る。彼らは社会が目指すものと真逆の発想で生きようとしているのだと。しかも、最悪の場合は、背を向けてきたはずの社会から手を差し伸べてもらうことになるという事実も理解しようとしていないことや、自らの永続性を求めていないということも理解出来るようになる。

 企業が社会的責任を果たすことを求められるのと同様に、人は社会の一員として、たとえ最低限であっても求められている義務を果たすことで、ようやく自由を獲得するものだと私は信じている。
 社会から理解を得られない自由はその場限りのもので、近い将来に行き詰まりを感じるようになるもの。利己的過ぎる自由に未来はない。

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処暑』の候‥暑さの勢いが収まり秋の気配を感じ始める頃。
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