∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ September 11 ≡≡

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信じられない映像
受け入れ難い事実

 20年前の9月11日夜。帰宅した私は何気なくテレビを点けたのだが、そこに映し出されていたのは、見たことのあるような高層ビルの上層階で大火事が起こっている風景だった。というか、そうとしか見えなかったのだ。

 テレビを見続けたが、アナウンサーは「ニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が衝突しました」というコメントを繰り返すばかりで、さっぱり状況が掴めなかったのを覚えている。ブラウン管の片隅に出ていた同時中継のスーパーも信じられなかった。
 最初は映画のワンシーンとしか思えなかったのだが、状況を理解するにつけ小さな声で「はあ?。えっ!」という独り言を聞きながら、「映画か? いや同時中継って出てるぞ。どうなってるんだ」という思考にならない思考を整理しようとするようになっていた。とにかく、目の前で起こっていることの何もかもが信じられなかったのだ。

 しばらくすると、残っていたもう一棟に飛行機が飛び込むシーンが映し出された。ちなみに、現地の特派員にはカメラ位置と放送設備の関係で、見えなかったようで、東京からその事実が伝えられていた。
 その後は、ビルが崩壊する画面やそのガレキが舞い上がるところ、叫びながら道路を北に逃げる人と消防車が南へ走るところなど、信じられない光景を見せつけられた。
……………
 実は、このテロが起こる数年前、私は仕事でここを訪れ、ひと仕事終わってから仕事先の人と一緒にノースタワー106~107階にあるレストラン『Windows on the World』で遅めの昼食を摂っていた。
 プロポーズやお上りさんにうってつけと言われていたゴージャスレストランである。私もお上りさん気分になって、窓際の席から、クライスラービルエンパイアステートビル越しに見えるセントラルパークを眺めながらランチを楽しんだことを覚えている。
……………
 最初に旅客機が飛び込んだのはノースタワーの105階付近だったと伝えられている。

 数年前とはいえ、1階上のレストランで食事をしていた私の脳裏には、レストランでのひとときや一緒に食事をした人たちの顔はもとより、その時の仕事全般の光景までが次々と浮かび上がってきた。
 連絡を取ることも出来ず、事態の推移を見守るばかりで、何も出来ない自分を責めたことを今も覚えている。

 改めて、亡くなられた皆さんには「安らかにお眠りください」という祈りの言葉を捧げたい。そして、緊急事態に尽力したすべてのニューヨーカーには、その勇気ある行動に対して敬意を称したい。神の御加護を。

 アメリカがアルカイダを率いるビン・ラディンを拘束するため、アフガニスタンに宣戦布告したのはテロから1カ月も経っていない時だった。
 ビン・ラディンは拘束され、その場で処刑されたが、その後も暫定政権を倒したタリバンとの戦いは続き、今年の8月30日にアメリカの撤退という形で幕を閉じている。

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『白露』‥朝夕の涼しさが際立つようになり、秋らしさが深まる頃。
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