∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 日本人? 日系人? ≡≡

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日本人、それとも、アメリカ人

 昨夜、ノーベル物理学賞のことをアップした後、授賞された真鍋(眞鍋 淑郎)氏は、日本人なのかそれともアメリカ人なのかと悩んでしまった。

 東京大学大学院を終了して理学博士になられた氏は、アメリカ国立気象局から招聘されて渡米した。数年間は日本で気象研究に従事していたものの、それ以外はずっとアメリカで研究を続けられてきた。
 そして、学究生活を続ける中、40年以上前にアメリカ国籍を取得されている。つまり、氏はアメリカ人。厳密に言えば“日系アメリカ人”なのだ。

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 アメリカやカナダなら、日本生まれ、渡米した後アメリカ国籍を取得した場合はJapanese-Americanということになる。
 ちなみに、アメリカ国内で、日本人の親から生まれて国籍変更をしなかった場合はAmerican-Japaneseということになる。
 人種に対して厳しい見方をするアメリカと、フラットな関係を重視するカナダでは、この表現に隠された意味は大きく違うが、それにしても生まれた国と国籍はすっきりと分けられている。

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 となると、どうして氏を日本人として報道しているのだろう。たしかに日本人が授賞したと言ったほうがインパクトはある。しかし、国籍を誤魔化す必要はないと思うのだが。
「日本で生まれ、東大大学院で博士号を取った後、渡米してアメリカ国籍を取得した“日系アメリカ人”であっても日本人授賞者としてカウントしたいということなのだろうか。
 それとも、日本人の親のもと日本で生まれたら、現在の国籍がどうであろうと誰もが日本人ということなのだろうか。

 もちろん国籍は違っても、自分のルーツは日本にあると考え、日本人のアイデンティティだけは忘れたくないという人もいるだろう。
 しかし氏は、研究を続けるために、同調性や協調性、あるいは前例や原則を重視する日本ではなく、個人を重視して自由で寛大な志向性をもつアメリカを選んだ。いうならば氏は、当時の日本の体制に背を向けたのだ。

 ルーツは日本だが、授賞対象になった研究はアメリカで完成させたものだし、生活基盤もアメリカにある。それなのに日本では「日本人が授賞した」と報道されている。ひょっとすると氏は、今の日本の報道姿勢に困惑しているのではないだろうか。

 現代は、ダイナミックかつグローバルに生きることが求められる時代である。そんな時代には、誕生時の国籍に固執せずに“○○系△△人”と表現することが似合っていると思うのだが、いかがだろう。

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秋分』‥秋の彼岸。夜が長くなり、駆け足で秋が深まる頃
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