1995年1月17日 阪神淡路大震災
27年前の今日。早朝6時過ぎに母から1本の電話が掛かってきた。そして私はそれからの数日間でそれまで積み重ねてきたすべての価値観を入れ替えることになった。
阪神淡路大震災。今年もこの日がやってきた。
突然襲ってきた危機とひとりで立ち向かう母の想い。何が起こったのかも分からないまま人生を終えてしまった人々。目の前で肉親を亡くされた多くの方々の寂寥感。救おうとしても救えなかった命と直面しながらも懸命に闘い続ける人々の心境。そんな直面した現実を否定することで心の平静を保とうとする人もいた。
そんな現実を受け入れず、逆に、影に隠れて事実を歪曲して広めようとした人もいた。
いずれにしても、何もかもが私の知っているものではなかった。
ようやく現地に入ることが出来てからは、更に現実の厳しさや自然の恐ろしさを知ることになった。
生まれ育った神戸は消えてしまった。
私にはそうとしか思えなかった。どうすれば手を差し伸べることが出来るのか分からないまま呆然と立ち尽くしてしまったことも多々あったが、しばらくするうちに、目の前に横たわる悲劇に立ち会い、向き合い続け、いつでも手を差し伸べられるようにしておくことしか今の私に出来ることはないと悟った。
悲しみや虚しさや悔しさを心の片隅にソッと積み上げて、次の世界を目指すことこそ、ありえないような危機と向き合い続けるためには欠かせない要素だということも覚えた。
どんなに時間が経っても“時の流れを折りたたんで”すべてを思い出せる記憶もあるが、そんな身体に染み込んだ記憶は一生消えるものではない。
そう、すべては私の心の中に今も刻み込まれている。大きな悲しみと虚しさと小さな安堵の瞬間が、ないまぜになったまま27年が過ぎてしまったのかもしれない。
改めて、地震とその関連死で亡くなられた6400人以上の方々に哀悼の意を表したい。
ご冥福をお祈りいたします。どうぞ、安らかにお休みください。
同時に、今の神戸を作り直してくださった数多くの人々に最大の感謝を捧げたい。
ありがとうございます。皆さんの力で神戸は生き返りました。
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[season12/0117/24:50]
『小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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