∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 手びねりの地蔵 ≡≡

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生と死の狭間を乗り越えて
改めて
命の大切さを噛みしめる日

 我が家の仏壇には一体の地蔵菩薩が祀られている。手びねりで、透明な釉薬を施しただけの素朴な仏さまである。

 27年前の今日、阪神淡路大震災のために多くの人々が恐怖と絶望に突き落とされたあと、再度山(ふたたびさん)中腹に建つ臨済宗祥福寺の住職、山田無文禅師は、不慮の死に見舞われた子どもたちの冥福を祈るために、手ずから地蔵菩薩を数百体造られた。どういうツテがあったのか、私の母はそのうちの一体をいただくことが出来たのだ。

 余談だが、太平洋戦争末期、母は空襲から逃れるために母の実家からほど近い祥福寺の境内に逃げたという話を何度か聞かされたことを覚えている。

 阪神淡路大震災では関連死と認定された方も含めて6400人以上の方が亡くなられたとされている。しかし、地震PTSDで死期を早めた方や、生きる気力を失った方はそれ以上に多かったはずと私は思っている。地震のあと1年足らずで亡くなった我が祖母もそのうちの一人だろう。

 もちろん、神戸を襲った“生と死が紙一重の時”を乗り越えて神戸を再建した人々も多くいた。

 冥福を祈る時。次の時代を再建する時。神戸は亡くなった方々を悼みつつ、多くの人たちからの手助けを借りながら前を向いて歩いてきた。
 大災害に見舞われた地域はどこもそうだが、生と死の狭間を経験することほど心に深く刻み込まれる記憶はない。

 しかし、時間が経つにつれ、体験した人以外の記憶は薄らいでいくものだ。27年も経てば当然のことかもしれないが、だからこそ、忘れてはいけない記憶は伝えていかなければならないのだろう。

 もともと山田禅師が作られた手びねりの地蔵菩薩は冥福を祈るために造られたものだったが、今では神戸に住む名もない人々の間では記憶を伝える像になっているかもしれない。特に子を亡くした人々の間では。
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[season12/0117/25:40]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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