∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 島田叡沖縄県知事 ≡≡

マリウポリの戦況について
戦中最後の沖縄県知事
島田叡氏に聞いてみたい

 ウクライナマリウポリではロシア軍による総攻撃が続いているという。特に、住民と兵士が最後の砦として籠城しているヨーロッパでも有数の製鉄所には徹底的な攻撃が加えられていると報道では伝えている。激しい攻撃を受けながらも兵士にも住民にも投降する気配はないようだ。
 日本人的な発想で「投降せずに戦う」というと“玉砕覚悟”と捉えがちだが、報道の行間を読んでいるうちに、彼の地の人たちはそうは考えていないと思うようになってきた。

 ウクライナの現況を報道で知るうちに「戦中最後の沖縄県知事」として今も名を残す島田叡(しまだあきら)氏のことを思い出した。

 太平洋戦争末期、国の辞令を受けて激戦が続く沖縄に赴任したのが島田叡氏である。
 氏は県知事として赴任して戦況を聞き取った後すぐに、自ら台湾に飛んで枯渇していた米を確保したり、島民の本土疎開を進めたりと住民の命を守る行動で職務を果たしてきたが、「玉砕してでも本土を守れ」という軍部には(密接な連携を保ちながらも)屈せざるを得なかった。
 1945年3月。県庁が首里に移転したあとは、地下壕を転々としながら執務を続けていたが、その時も日本軍が首里に撤退したことによって取り残された本島南部の住民のことを気遣い、軍部に“撤退は愚策である”と詰め寄ったが、聞き入れられることはなかった。
 そして1945年6月26日。銃撃で負傷していた氏は摩文仁にあった壕で自決した。部下に対する最後の公式な訓示は、同年6月に県庁組織と警察組織を解散した時の「生きのびて沖縄のために尽くしなさい」というものだったという。

 頑迷なまでに「人より国、沖縄より本土」と考え続ける軍部と、県民の命を守ることに熱意を注いだ県知事。

 私は氏にウクライナの現状について教えを請いたいと切に願っている。きっと壮絶、悲惨、決死などという定型的な視点に留まらない何かを示唆して下さるはずである。

 旧制神戸二中(現兵庫県立兵庫高校)7陽会。60陽会の私にとって氏は、尊敬する大先輩のひとりである。
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[season12/0419/25:30]
清明』‥春の息吹きが、万物に溢れるほどの生命力を与える頃。
清明末候』‥虹始見(にじはじめてあらわる)。雨後の虹が幸運を呼ぶ
photograph:cherries are out of bloom, nishisimbashi, minato city
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