∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ マスク問題 ≡≡

ノーマスクへの道のり

 ヨーロッパ、アメリカ、韓国。コロナ禍を象徴する“医療用具”、マスクが着用不要になった国が増えてきた。それに伴って日本でもマスク不要論が議論されるようになっている。

 2年半前、新型コロナウイルスが拡大し始めた頃、コロナにはマスクが有効だと叫ばれようになった。当初は「専門家がそう言うのだからそうなんだろう」程度の信頼度だったが、今や、マスクなしの外出や会話なんて想像も出来ないようになっている。万一、ノーマスクの人と出会った時は警戒度を上げるのも当たり前になった。もはや“マスク崇拝”とでも言いたいくらい依存するようになっているわけだ。

 そんなマスクにお役御免の時がやって来そうな気配である。

 とはいっても、今のところ日本国内での感染症学的な検証は一向に耳にしていない。もちろん経済学的なリスク論に関しての議論も聞こえてこない。聞こえてくるのは、マスク不要が世界のトレンドになっているから、それに乗り遅れないように日本も議論を進めるべきだとする提言ばかりである。それでもいいだろう。いつまでも検討しないままでは済まない問題なのだから。

 では、実際にマスク不要になったとしたらどうなるだろう。

 前提として、強制や義務ではなく、要請や自粛だけで国民を誘導してきた国が、どうやってマスク不要を伝えるのかという問題は考えないようにしておこう。素知らぬ顔で「マスクは不要です。でもご用心を」と発表すればすむことだから。

 マスクがなければ、息はこもらないし汗の滴りもなくなる。人々の表情も見える。声も聞こえやすくなる。はっきり言っていい事ずくめである。
 しかし、新規感染者がいる限り、コロナ感染の危険性は確実に上がる。なかにはマスクをしていないからとノーマスクの人との接触を避ける人もいるだろう。

 同調圧力には弱いが、臨機応変に器用さを発揮することのできる日本人のことである。屋外では不要、様子を見て室内もという流れになるのは確実だが、他人とすれ違わないような広く開けた所ではマスクを外すが、そうでなければ着用するということになるのだろうか。
 つまり、予期しない圧力を受けるくらいなら着脱の煩わしさなど意に介さない態度である。マスクの感染予防効果を知った上で、ノーマスクを選択するか否かを決められる人は少ないかもしれない。

 連休明けの新規感染者数の増減にもよるだろうが、マスク不要論の議論が前途多難であることは間違いなさそうだ。
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[season12/0502/25:00]
穀雨』‥春雨が草木を芽吹かせ、穀物の成長を促す頃
photograph:sinobazu pond, ueno, taito city
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