∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 『太平洋ひとりぼっち』 ≡≡

60年掛けた
太平洋単独無寄港往復

 1962年5月12日、西宮の係留地からサンフランシスコに向け船出した全長19フィートの『マーメイド号』が8月12日にアメリカ・サンフランシスコに到着した。
 日本政府からパスポートの発給を拒まれたため、密出国を選んだたったひとりの船旅である。
 船体は合板製。位置確認は六分儀と羅針盤。天候判断は目視と体感。通信機器なし。電力なし。船内の明かりは灯油ランプ。当時としては標準的な装備だったが、ヨットの大きさは外洋航海を乗り切るには貧弱なものだった。

 そして、今年3月26日にサンフランシスコを出発した『サントリーマーメイドⅢ世号』が6月4日未明にゴールと定めていた紀伊半島沖を通過し、単独無寄港の太平洋横断が達成された。69日間の往路航海である。パスポートコントロールは、前航海の成功が国を動かし変更された出入国規定によるものだった。
 船体はアルミ製。位置確認はGPS。天候判断はインターネット。通信機器はアマチュア無線と衛星電話。電力は太陽光発電で供給。船内照明はLED。全長は60年前とほぼ同じだが、装備は最新鋭。不測の事態が起こっても、近くを航行中の船が救助に向かえる体制が取られていた。

 日本を代表するヨットマンの堀江謙一氏(83歳)が60年掛けて、とうとう太平洋単独無寄港〈往復〉を達成させた。とてつもない偉業達成である。

 子供の頃、船に特別な関心のあった私は、最初の航海が成功したときの報道を知って「ふーん、こういう人もいるんだ」と感じたことをうろ覚えながらに覚えている。もっとも、小型ヨットで太平洋を単独無寄港航海しようという一見無鉄砲な勇気を理解したのは、大人になってから読んだ『太平洋ひとりぼっち堀江謙一著 文芸春秋新社/現・文藝春秋刊 その後、角川文庫として再販されたのちに舵社から新装版が再刊)』だったが。

 1962年に太平洋を無寄港で横断したあと、氏は太平洋を横断したり縦断したりと10回も超長距離の航海を成功させている。それもソーラーボートや双胴船など、その時々で実験的な航海に挑み、成功させてきた。

 そんな氏の流儀を私は、憧れと敬意を込めて「このオッサン、ヨット乗りの中でも変人中の変人だ」と思うようになっていたが、2000年代に入ってからは「また出たんだ。でも、きっと成功する」と信じるようになっていた。
 高速さを競う超大型コンテナ船で航海するのとは次元が違う“太平洋の真の怖さ”を氏は熟知しているのだろう。はっきり言って「とてつもない人」である。

 堀江謙一さん、どんな表現でも表現し切れないほどの偉業達成、おめでとうございます。これからも太平洋の冒険者としてご活躍なさいますように。
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[season12/0604/25:30]
小満』‥草木が伸びはじめる頃。夏めいていく中に梅雨の予感。
photograph:souji-ji, tsurumi, city of yokohama
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