∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 映画の灯 ≡≡

映画の聖地よ永遠なれ

 大学に入学した時、映画についてまったくの門外漢だった私は、新たに知り合った映画好きな友人たちの影響で、毎月発売される映画情報誌『ぴあ』で名画座の上映予定にチェックを入れて、まさに日課のように出掛けていた。おかげで3年生の終わりには千数百本の映画を観了するまでになっていた。

 洋画8割、邦画2割程度の割合で観ていたが、どの名画座もすべて3本立て、一日3回上映が基本で、入れ替えはなし。3本×3回観ても(たしか)300円だった。 ちなみによく行っていたのは、4年間住んでいた国立の『国立スカラ座」は当然のこと、飯田橋『佳作座』、神楽坂『ギンレイホール』、銀座『並木座』、池袋『文芸坐』『文芸坐地下』(新文芸坐の前身)など。
 大島渚寺山修司の作品を上映していた新宿『アートシアターギルド蠍座』や、興行的には見込めないが貴重な映画を監督やテーマ別に集めて上映していた京橋『フィルムセンター』(現・国立近代美術館フィルムアーカイブ)や、マイナーだが秀逸な作品を上映していた神保町『岩波ホール』にも時々出掛けていた。

 2022年7月29日。『岩波ホール』の灯が消えた。

 数十年も前のことなので記憶も定かではないが、静かな中に潜む狂気を描き続けたイングマール・ベルイマン監督の作品や、とことん大らかなインドのミュージカル映画などを始めて観たのはこの『岩波ホール』だったと記憶している。
 名画座系に出入りする時は何も感じなかったが、いわば“映画のコレクターズアイテムと出会える場”だと信じていた『岩波ホール』と『フィルムセンター』で観る時は“生真面目な映画青年”を装って背筋を伸ばし、エリを正していたように記憶している。

 映画を収益優先のエンターテイメントと決めつけず、世に埋もれていた秀作を取り上げ、芸術作品として扱ってきた『岩波ホール』が果たした役割は想像以上に大きい。控えめに言っても“映画芸術と触れ合える場の喪失”である。

 またひとつ、佳き時代が終わった。

 真に上質な映画を観せていただきありがとうございました。
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[season12/0729/25:20]
大暑』‥暑さのピーク。夏休み。熱中症。暑中見舞い。土用の丑
photograph:FOUNTAIN / ueno park, taito city
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