∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 真の功績 ≡≡

森英恵さんの死を悼んで

 日本の美意識を世界のファッションシーンに認めさせた森英恵氏が亡くなった。ご高齢だったとはいえ、なんとも悲しすぎる知らせだ。

 報道では、1950年代から携わっていた映画衣装の製作や一流企業の制服デザイン、皇后陛下の婚礼用ローブデコルテ、バルセロナオリンピック日本選手団のユニフォームなどを手掛けてきたとその功績を伝えている。

 時代を象徴するファッションを生み出してきたのも事実だが、私は氏の真の功績は、氏の背中を見ながら育った多くの日本のデザイナーに「世界に通用するファッションデザイナー」を目指すきっかけと勇気を与えたことだと確信している。

 氏は1965年のニューヨーク・コレクションで大成功を収めそのままニューヨークと東京を拠点にて活躍し、77年にはパリコレに進出し、オートクチュールギルドに加盟することを許された。「蝶」のモチーフと日本の美意識を融合させたHANAE MORIブランドで世界のオートクチュール界に名を馳せた。

 ちなみに、先日亡くなった三宅一生氏も65年にパリに渡り腕を磨いていた。いわば1965年は日本のファッション界が世界規模で胎動し始めた年と言っても言い過ぎではないだろう。

 その後、山本寛斎高田賢三、鳥居ユキ、コシノジュンコ川久保玲ヨウジヤマモトなど、いまやレジェンドと言われている日本のファッションデザイナーがパリコレデビューするようになった。三宅一生氏と高田賢三氏がパリコレのパイオニアと言われているが、海外進出という視点でみれば森英恵氏こそパイオニアである。

 森英恵氏は「安かろう悪かろう」と虐げられていた日本のアパレル商品の価値を高めたうえに、日本の美意識がファッションの中で生かされた時に醸し出される美しさを世界に認めさせた。

 軸足を日本に置きながら世界で活躍する道を選んだ氏と、あとに続いたデザイナーたちの表現には明らかな違いがある。しかし、時代が変わっても、氏が目指した「世界を舞台にする」という理念は今もなお息づいている。

 森英恵さん。日本のファッション界が世界に羽ばたくために先鞭を切っていただき、ありがとうございます。ご冥福をお祈りしたします。安らかにお眠りください。
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[season12/0818/25:20]
立秋』‥夏真っ盛りに気付く秋の予感。残暑見舞い。虫の音。秋雲。
photograph:STRANGE TREE/souji-ji, tsurumi, yokohama city
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