∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 16年ぶりの参拝 ≡≡

「べったら市」の名で知られる
日本橋の恵比寿講と
そこで芽生えた心境の変化

 16年前の9月30日、私は学生アルバイトから数えると30年間お世話になってきた出版社を退職した。セカンドライフの目標もなく退職したため、その直後は「これからどうしたものか」と暗中模索で毎日を過ごしていた。そんな時、日本橋小伝馬町で開かれる「べったら市」の存在を偶然知ってフラッと出かけてみた。なぜ「べったら市」が行われているのかも知らなかったが、気分転換になればと思い出掛けてみたのだ。強いて言えば関西ではあまり知られていない「べったら」に興味があったことくらいだ。

 その後は、その存在すら忘れていたが、先日、旧知の仲間が「べったら市」の話題をフェイスブックに上げたことから忘れていた記憶がよみがえり、16年前と同様に、べったら目当てで出掛けてみることにした。

 江戸期から多くの町民が住む町として栄えていた日本橋小伝馬町にある宝田恵比寿神社椙森神社で行われる恵比寿講の日は、当時から現在に至るまで、大根を塩麹と砂糖で漬け込んだ「べったら漬」が売り出される市として人気が高い。本末転倒だが、本来の神事よりもべったらのほうが知られているかもしれない。ちなみに、神無月に祭礼と疑問をもちそうだが、恵比寿天の祭礼だけは斎行して良いとされているらしい。

 余談だが、16年前もべったら漬を手に入れたが、あの時は同時に、伊勢一刀彫の恵比寿天と大黒天を手に入れ、ずっと自宅に飾ってきた。きっと当時から何か良いことがあればと思っていたはずだが、残念ながら、祀る気持ちがこもっていない仏像に霊力があるわけもなく、いまだに恵比寿大黒からの恩恵は授かっていない。

 そんな「べったら市」で、私の心の奥底に芽生えたものがあった。

 出版社を退職した時、私は「過去を振り返ることなく封印し、新たな世界を切り開きながら生きる人間になる」と誓ったのだが、そろそろその誓いを解いてもいいのではという想いが芽生えたのだ。
 それが正しい選択なのかどうかは分からない。しかし、やみくもに拒否するよりも受け入れられるものは受け入れるという姿勢のほうが、より自然体に近いように思えてきた。少しずつ慎重に封印を解いていけば、新たな地平が見えてくるかもしれない。

 なんだか、今日の「べったら市」は特別な恵比寿講になったようだ。
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[season12/1020/25:30]
寒露』‥冷気が漂い、草木に冷たい露が降りる頃。冬鳥の第一陣。
photograph:EBISUTEN(R), DAIKOKUTEN(L) at BETTARA-ICHI.
kodenmacho. chuo city
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