2022年12月30日
矢崎泰久氏逝去(89歳)
特に多感な青春時代、誰しもがその後の人生を左右するするほど衝撃的な出会いをするものと私は信じている。私にとっては『話の特集』という雑誌がそのひとつだ。
高校生だった私は多くの雑誌を読み漁っていた。ほとんどの雑誌が消えていったが、その中でもいくつかの雑誌の記憶は今も消えていない。いや、その後の私の思想信条の醸成に大きな影響を与えたといったほうがいいだろう。
なかでも、矢崎泰久氏が編集長を努めていた『話の特集』は衝撃的な刺激を与えてくれたと言っても過言ではない。
リベラル・反権威を旗印にしていたが、それを大声で主張することなく読者に浸透させる力量を持っていた雑誌だったが、それよりもなにより、毎号が時代を映し出す熱気に包まれ、とてつもないエネルギーに溢れていた。曲がりなりにも、今の日本が「自由にモノが言える国」に育った要因のひとつには『話の特集』のような強固な意思をもつ雑誌があったからではとも感じている。
あの時代を思い出すために史実を紐解くと、アートディレクターは和田誠。和田誠や横尾忠則や宇野亜喜良などのイラストが表紙を飾っていた。執筆陣には谷川俊太郎、寺山修司、小松左京、小沢昭一、永六輔、竹中労、赤塚不二夫など。写真家には篠山紀信、立木義浩、小川隆之など。特集で山下洋輔が炎上するピアノでジャズを奏で続けるという奇想天外な企画もあった。ちなみに沢木耕太郎や倉本四郎などもスタッフだったという。
何かのインタビューで矢崎泰久氏が「編集とは雑用の集大成だ」と語っていたが、私はいまだに「編集」を「仕事」や「人生」に置き換えて生きているような気がしてならない。
そんなエポックメイキングな雑誌を作り上げた氏の功績はちょっとやそっとのことでは語り尽くせない。
矢崎泰久さん。貴殿が教えてくれたモノゴトのあるべき姿は今も私の心のなかで生き続けています。
どうぞ安らかにお眠りください。合掌。
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[season13┃08 Jan. 2023┃12:30 JST]
KAN-BOTAN(WINTER PEONY):ueno botan-en, ueno toshogu, taito city
Photographed on 28 Jan. 2022