∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 地震二日目 ≡≡

「空襲のほうがよかった」

 神戸を地震が襲ってから二日目。ありがたいことに電話が復旧した。今ほど携帯電話もインターネットも普及しておらず、情報はNTTとテレビや新聞などの報道で得るしかなかった時代のこと。電話が繋がっただけで飛び上がるほど嬉しかったのを覚えている。

 夜になって母からの電話で、親類縁者が全員無事だということが分かり、ひとまず安心したしたのだが、その電話の中で母は「今も長田のほうが燃えとる。昨日の夜から空が真っ赤のママや」と言い始めた。報道で大雑把な状況は分かるようになっていたが、それでも“被災した人たちの生の感覚”まで取材が追いついていない時の話である。
 母はその電話で「空襲警報が鳴って逃げる時間のあった空襲のほうがよかった。突然あんなに揺れたら逃げようがない」とも話してくれた。太平洋戦争中、神戸が空襲に襲われるたびに再度山に逃げながら、街が炎に包まれるところを目撃してきた母の本音だったのだろう。
 かれこれ30分くらい話したところで母は「家の壁にひび割れが出来て外が見える状態なので寝る所もないし、食べ物もない。だいいち人さまの迷惑にもなる。だから今は来たらあかん」と私が神戸に行くことを強く牽制した。その思いを知って、私は「本人が言うのだから一旦は聞いておこう」と決めた。その時は、その場で時間を共有しないことが、これほど不安を煽り、苦痛を増すものだとは知らなかったのだ。

 ちなみに、災害に襲われて二日後といえば、復旧作業に掛かるための下準備を始めたタイミングである。被災者の救出も被害の拡大を止める作業もすべて、被災地に住む人間と自衛隊の先遣隊で終わらせないと“収まりがつかない”時。本格的に全国から自衛隊や警察・消防・医療チームなどが集結してくれたのは1~2日後のことである。

 自然災害に予告はない。私はこの心情は東北や熊本や熱海で被災した人すべてが抱いていることだと思っている。
 今、改めて、恐怖と不安の中で醸成された極めて強固な経験則を語り継ぎ、熟成していくことの大切さを確認しておきたい。
──────────────────────────
[season13┃18 Jan. 2023┃13:00 JST
:KAN-BOTAN(WINTER PEONY):
ueno botan-en, ueno toshogu, taito city
Photographed on 28 Jan. 2022