∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 『大寒』の候 ≡≡

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寒仕込み。蕾の成長。
見えない所で春の準備が進む
極寒の時期

 一年でもっとも寒さ厳しい『大寒』の候がやってきた。江戸時代に著された『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と記されている。

 だが、大寒の候は、寒いだけでなく「見えない所で春の準備が進む」あるいは「冬眠から覚めるための下準備を始める」時期でもある。

 酒や味噌や寒天のようにこの時期に仕込みの最盛期を迎えるものも多い。自然界でも、水仙は咲き誇り、ふきのとうは芽を出し、早咲きの梅はほころびはじめ、桜の蕾は枝の中で成長速度を増していく。

 「極寒の時」の次に来るのは「至福の時」

 こう思えば、寒さとの我慢比べもしのぎ易くなる。まるで急拡大を続けているコロナとの闘いのようだが、これこそ自然の摂理なんだろう。

 あと少し、あと少し。

  春の訪れを期待して、厳しい自然と向き合いながら数週間を過ごすことにしよう。
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[season12/0120/24:50]
大寒』‥見えない所で春の準備が進む一年でもっとも寒い時期
photograph:daffodil at kudanshita, chiyoda-ku
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≡≡ 桃の木探してます ≡≡

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梅や桜と違って
こんなに探しにくい木だったとは

 手っ取り早く梅の花を探すなら湯島天神東武沿線の香取神社。桜の花は上野の山をウロウロすればいくらでも見つかる。それで足りなければ北区王子の飛鳥山でもいいし、駒込六義園でもいい。
 東京の下町で梅や桜を探そうとするとこんな答えが返ってくるのが一般的だ。特に桜は都市計画の一環として至る所に植えられているので、わざわざ探さなくても目に飛び込んでくる。

 ところが桃となると事情が一変する。極端に少ないのだ。

 とある理由で、先日から桃の木を探し続けている私にとしては大きな誤算である。
「梅が咲いたあとを桃が追いかけ、最後に桜が咲き始める」という自然の法則に従って、どこかで誰かが植えているだろうと想像していた私が甘かったようだ。
 江戸時代から続く小唄や端唄で唄われる「♪梅は咲いたか、桜はまだかいな♪」に桃が入っていない理由も何となく分かったような気がする。きっと江戸時代から桃の木は一般的ではなかったのだろう。

 ちなみに、インターネットで「桃園」とか「桃の木」などのキーワードで検索して出てくるのは中国料理の店ばかり。かろうじて老人ホームもないわけではないが、極めて少数派である。
 キーワードを変えて「桃の銘木」で検索すると銘木を取り扱っている材木商やお箸の商品紹介しか出てこない。
 つまり、エリア指定なしで探しても、桃の木がランドマークや名物になっている場所など一切出てこないのだ。

 おバカなオッサンが何を言い出したのかといぶかっていらっしゃる方も多いだろうが、本人はいたって真面目である。一応断っておくが“正気”である。途方に暮れているだけだ。

 今のところ、南千住の素盞嗚神社と、境内に桃の神を祀った桃祖神社が鎮座している牛込柳町天祖神社に行けば桃の木が植わっていることだけは分かった。
 しかし、神社仏閣以外でも見つけたいのだ。庭園や公園が第一候補だと思っているが、それがなければ銘木一本でもいい。

─どなたか、東京23区内で桃の銘木が植わっている所をご存知の方はいらっしゃいませんか。ご教授いただければ幸いです─
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[season12/0119/25:10]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 立ち退き提訴 ≡≡

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浅草らしさはどこへ行く

 日本で有数の観光地、東京浅草。そこの浅草寺に向かう仲見世通りに交わる伝法院通りに異変が起こっている。

 この通りの一角には舞台衣装、履物、着物小物をはじめとして30店以上並んでいるエリアがある。
 日本人から見ると誰が着るの?いつ着るの?と言いたくなる異様な光沢を放つキモノガウンを扱う店があるかと思うと、ちょっと通ぶって羽織りたくなる角袖や“とんび”などの男性用着物コートの既製品を扱っている店もある。
 ほかでは見ることのない店が並ぶ中に新規開店した食べ歩きの店もあるが、全体の印象としては「古き良き昭和」がワープしてきたようなエリアと言っていい。

 ここに店を構える30数店は、40数年前に区画整理で現在地に移転してきた。仮店舗のような造りのようにも見えるが、夜になればシャッターも閉まるし、東京電力の電力も供給されている。もちろん役所が発行した住居表示もある。

 そんな30数店に、ここを管轄する台東区は立ち退きを求め提訴した。

 当時の区長との間で口約束が交わされたとされてきたが、証拠となる文書が一切保存されておらず、現実問題として公道を占拠していることや、区道上であるにも関わらず40数年間区に専有使用料(地代)を払っていないことなど不法建築とみなすに充分な根拠があるというのが提訴した台東区の言い分である。

 しかし、しかし、しかし、である。

 40数年間地代を払う払わないで揉めることがあるのだろうか。また、不法占拠した建造物に正式な住居表示が取り付けられることはあるのだろうか。どうして東京電力は疑問を抱かずに電力供給し始めたのだろうか。疑問はいくつも浮かんでくる。

 そもそも浅草は、広大な寺社領だった浅草寺の地所に店が持てるのを誇りとしてきた街である。たとえ地所が台東区に移管されて道路整備などをしても、それは“ご奉仕”だと感じている住民も多い。
 しかも「伝法院通り」は「仲見世通り」や「六区の大通り」と「ひさご通り」を結ぶ「通称・ホッピー通り」と共に浅草らしさを醸し出している通りである。

 台東区は浅草らしさとは何かを考えているのだろうか。専有料が納付されなかったという行政の不始末を棚に上げて「そこどけ」「地代を払え」とだけ主張するのだろうか。それとも、伝法院通りに店を構えるほかの老舗などからの圧力に耐えられなかったのだろうか。
 どうして「経緯を証明する文書が何ひとつ残っていないので、これまでのことは不問にするから、これからは専有料を支払ってくれ」という解決策を提示出来なかったんだろう。

 昔気質の住民のなかには「観音さまのお膝元でこんな騒動を起こすなんてバチが当たる」と感じている人も少なからずいるはずだ。

 こうなると、提訴が正式に受理された時に裁判所が住民感情や浅草情緒をどこまで汲み取ってくれるか祈るばかりだ。
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[season12/0118/25:10]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 手びねりの地蔵 ≡≡

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生と死の狭間を乗り越えて
改めて
命の大切さを噛みしめる日

 我が家の仏壇には一体の地蔵菩薩が祀られている。手びねりで、透明な釉薬を施しただけの素朴な仏さまである。

 27年前の今日、阪神淡路大震災のために多くの人々が恐怖と絶望に突き落とされたあと、再度山(ふたたびさん)中腹に建つ臨済宗祥福寺の住職、山田無文禅師は、不慮の死に見舞われた子どもたちの冥福を祈るために、手ずから地蔵菩薩を数百体造られた。どういうツテがあったのか、私の母はそのうちの一体をいただくことが出来たのだ。

 余談だが、太平洋戦争末期、母は空襲から逃れるために母の実家からほど近い祥福寺の境内に逃げたという話を何度か聞かされたことを覚えている。

 阪神淡路大震災では関連死と認定された方も含めて6400人以上の方が亡くなられたとされている。しかし、地震PTSDで死期を早めた方や、生きる気力を失った方はそれ以上に多かったはずと私は思っている。地震のあと1年足らずで亡くなった我が祖母もそのうちの一人だろう。

 もちろん、神戸を襲った“生と死が紙一重の時”を乗り越えて神戸を再建した人々も多くいた。

 冥福を祈る時。次の時代を再建する時。神戸は亡くなった方々を悼みつつ、多くの人たちからの手助けを借りながら前を向いて歩いてきた。
 大災害に見舞われた地域はどこもそうだが、生と死の狭間を経験することほど心に深く刻み込まれる記憶はない。

 しかし、時間が経つにつれ、体験した人以外の記憶は薄らいでいくものだ。27年も経てば当然のことかもしれないが、だからこそ、忘れてはいけない記憶は伝えていかなければならないのだろう。

 もともと山田禅師が作られた手びねりの地蔵菩薩は冥福を祈るために造られたものだったが、今では神戸に住む名もない人々の間では記憶を伝える像になっているかもしれない。特に子を亡くした人々の間では。
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[season12/0117/25:40]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 津波ではなく空振 ≡≡

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また覚えねば

 この2年間、新型コロナウィルスについて多くの“初めて聞く単語”に接してきた。そもそも、感染症と伝染病の違いすら知らなかった私のような人間が専門用語を聞いただけで理解できるようになり、にわか勉強でもいっぱしのコメントが出来るようになるなんて思ってもみなかった。

※ちなみに「感染症とはウイルスや細菌を原因とする発熱などの症状で、そんな感染症の症状を移された第三者が発症する病気のことを言う。

 そして、ここに来てまた新たな単語が出てきた。「空振」である。

 昨日トンガの沖合いで起こった海底火山の爆発が原因の潮位の異常な上昇に注目が集まっている。「津波」なのか「高潮」なのか、それとも違う現象なのか。
 今のところ気象庁は現象の説明しか公式見解を出していないが、気象学者の間には「空振によって起こった異常潮位」という意見が出ている。
 より精密なデータ解析を終えた時点で発表されるはずの気象庁の見解を聞かないと確かなことは言えないが、おそらくそういうことなのだろう。

 一応定義付けをしておくと、「津波」とは海底から海水が盛り上がって起こる現象で、「高潮」とは台風などで海水の表面が盛り上がって起こる現象。そして「空振」は異常な気圧上昇が引き起こす潮位の上昇ということになる。

 ウイルスとの次は気象である。地震津波でかなり“初めて聞く言葉”を理解しようと努力してきたが、まだまだ知るべきことは尽きないようだ。
 自然が奥深いのか、それとも解明されてきた事象が極めて細分化されているのか。あるいは、私が何も知らずに生きてきただけなのか。

 その問題はともかくとして。

 これからは空気が爆発的に振動すると海水が盛り上がり、陸地に押し寄せる自然のメカニズムのことを「空振による高潮」とでも言うことになるのだろうか。
 少なくとも「空振と聞いて、段ボール箱に溜まった空気をドンと押し出した時に起こる“空気爆弾”のことしか思い浮かばなかった、ハッハッハ」では済みそうにない。
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[season12/0116/25:30]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 小正月 ≡≡

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─変わりゆく伝統行事─
1月15日は
女正月・左義長・小豆粥

 今使っている新暦と混同しそうなので気をつけないといけないが。

 月の満ち欠けを基準に日付を決めていた旧暦(太陰太陽暦)で1月15日は春分を越えた初めての満月に当たり、この日を正月と定めていた。
 明治5年に新暦に変わってからは、1月15日は「小正月」と言われるようになり、松の内が明ける日とされるようになった。

 「小正月」に行われる年中行事にはいくつかある。
 たとえば、正月期間中慌ただしく動き回った女性たちのための正月とされている「女正月」や、紅白の小さな餅を柳の枝に花のようつける「花正月」のように限られた地域や人々の間でしか伝えれれていなものがほとんどである。
 正月中家にいらした年神様を煙に乗って天上にお送りするために門松、しめ飾り、正月飾りなどを燃やす「左義長どんど焼き)」もそのひとつ。今どき、都会で焚き火などをしていたら大騒ぎになるのは必至。当然といえば当然だろう。
 同じように絶滅危惧種になってしまった行事に「小豆粥」がある。米と一緒に小豆を炊いた薄い塩味の粥である。餅米と小豆を一緒に炊く赤飯とは一線を画した一年の邪気を払うための縁起物である。

 時代とともに伝統行事の意義や意識は薄らいでいく。そんな意義や意識の変化が如実に分かるのが正月である。
 けっして「しきたりは守るべきもの」とは思わないし、現代生活に馴染まないものが多いので廃れていって当然だと思うが「昔はこんな行事もあった」という伝承行為くらいは残しておくべきではないだろうか。
 特に正月には重要な節目の行事が多い。それなのに残っているのは初詣とお年玉だけというのも寂しい限りである。これも時代の変化というものだろうか。
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[season12/0115/25:00]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 大恥必至で訂正します ≡≡

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勘違いと早とちりと勇み足……
大変失礼いたしました。
笑ってお許しいただければ幸いです

 昨夜、まだ1月13日だというのに1月17日だと勘違いして「阪神淡路大震災」についてアップしてしまいました。

─平身低頭─
恥ずかしさに身を震わせながら、
額を地面に擦りつけて訂正いたします。

 4日も早すぎましたが、他意はなく、あくまでも早とちりとご理解いただければ幸いです。
 なぜ間違えたのか、自分でもよく分かっていません。ひょっとするとブログを書く少し前にチラッと目に入った地震関連のテレビ番組を、地震当日を振り返るドキュメンタリーだと思い込んだのが原因かもしれません。
 何が原因だったにせよ「今日は地震の日。だから文末の日付も0117で」と思い込んで書いてしまったのは私です。今では特別な日を汚してしまったのではと危惧するくらいに猛省しております。

どうぞ、お叱りください。
どうぞ、笑ってやってください。
どうぞ、蔑んでやってください。

 本当は「穴があったら入りたい」ところですが、穴など入らず、すべてのお言葉や視線を受け止めさせていただきます。

 本当の1月17日には、改めて、地震で傷ついた皆様に向けて書かせていただきます。

 今回は大変失礼したしました。以後重々注意いたします。
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[season12/0114/24:30]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ あの日から27年 ≡≡

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1995年1月17日 阪神淡路大震災

 27年前の今日。早朝6時過ぎに母から1本の電話が掛かってきた。そして私はそれからの数日間でそれまで積み重ねてきたすべての価値観を入れ替えることになった。

 阪神淡路大震災。今年もこの日がやってきた。

 突然襲ってきた危機とひとりで立ち向かう母の想い。何が起こったのかも分からないまま人生を終えてしまった人々。目の前で肉親を亡くされた多くの方々の寂寥感。救おうとしても救えなかった命と直面しながらも懸命に闘い続ける人々の心境。そんな直面した現実を否定することで心の平静を保とうとする人もいた。
 そんな現実を受け入れず、逆に、影に隠れて事実を歪曲して広めようとした人もいた。
 いずれにしても、何もかもが私の知っているものではなかった。

 ようやく現地に入ることが出来てからは、更に現実の厳しさや自然の恐ろしさを知ることになった。

 生まれ育った神戸は消えてしまった。

 私にはそうとしか思えなかった。どうすれば手を差し伸べることが出来るのか分からないまま呆然と立ち尽くしてしまったことも多々あったが、しばらくするうちに、目の前に横たわる悲劇に立ち会い、向き合い続け、いつでも手を差し伸べられるようにしておくことしか今の私に出来ることはないと悟った。
 悲しみや虚しさや悔しさを心の片隅にソッと積み上げて、次の世界を目指すことこそ、ありえないような危機と向き合い続けるためには欠かせない要素だということも覚えた。


 どんなに時間が経っても“時の流れを折りたたんで”すべてを思い出せる記憶もあるが、そんな身体に染み込んだ記憶は一生消えるものではない。
 そう、すべては私の心の中に今も刻み込まれている。大きな悲しみと虚しさと小さな安堵の瞬間が、ないまぜになったまま27年が過ぎてしまったのかもしれない。


 改めて、地震とその関連死で亡くなられた6400人以上の方々に哀悼の意を表したい。

 ご冥福をお祈りいたします。どうぞ、安らかにお休みください。

 

同時に、今の神戸を作り直してくださった数多くの人々に最大の感謝を捧げたい。

 ありがとうございます。皆さんの力で神戸は生き返りました。
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[season12/0117/24:50]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 風雲急を告げ ≡≡

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感染急増中だからこそ
落ち着かねば

「トップニュースはコロナ」という法則が戻ってきて約2週間。日毎に感染者数が増え、いまや危機的な状況がそこまで来ているようにも感じられる。

 まん延防止措置が出た地域では夜の人出がガクンと減っているようだし、東京のような感染者は多いが措置は出ていない地域でもいくぶん街が静かになっているように感じている。
 さすがに何度も辛い経験をしてきただけに、多くの人々は自主的に予防体制に入ったようだ。

 日本で暮らす人々はさすがに用心深いというしかない。

 だが、なかには気にし過ぎの人もいるようだ。人との接触を避けようと懸命な人もいれば、他人の行動が気になってしかたがないという人もいる。こういうタイプの人を見ていると「神経質過ぎて疲れるだろうな」と思うこともある。

 実は今日、とある所でこういうタイプの人と遭遇したのだが、この方は自分で設定したレギュレーションこそ正しくて、周囲の人は全員不合格というタイプ。周囲の人は辟易しているようだった。少し離れた所から見ていた私でさえ「いき過ぎ、やり過ぎ、気にしすぎ」としか思えなかった。同時に「この人はどうしてここにいるんだろう」と考えてしまった。
 仕事ならテレワークにシフトすれば済むし、プライベートなら我慢すればいい。それなのにわざわざ出掛けてくるのにはどういう理由があるんだろう。
 ひょっとして、これまでの日常生活を変える気はないとか、コロナに感染するなんて生活態度が間違っているからだと考えているのだろうか。

 こんな時だからこそ、冷静さや平常心や寛容さを持ち続けるべきだと思うのだが……。

 正直に言おう。今日はまれに見るほどの反面教師にコロナ対応のスベを教えてもらったような気がしている。まさに「マスク越しに深呼吸をして、落ち着きましょうよ」である。
 感染のピークはまだまだ先の話。今からピリピリしていたら身が持たない。とにかく冷静に、粛々と。やり過ぎは禁物だ。
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[season12/0112/25:25]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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≡≡ 冬の雨 ≡≡

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寂しさや物悲しさを醸す
冷たさと暗さ

 三連休明けの今日は雨が一日中降り続けていた。

 ヤボ用を済ませるために朝から外歩きをしていたら、突然寂しさがこみ上げてきた。
 何か特別なことがあったわけではない。いつもどおりに過ごしているだけなのに、心の中に急にポコッと空洞が出来てしまい、同時に説明の付かない寂しさや物悲しさや虚しさが湧き上がってきたと言うしかない。

 手や顔にかかる雨粒は冷たい。陽の光も鈍く暗い。そんな冬の雨ならではの印象が心のどこかに突き刺さったのだろうか。我が家に戻ってから何時間も経つというのにどこかに棘が刺さっているように感じることになるとは思ってもみなかった。
 これまでに体験してきたもろもろを思い出したわけではないと信じたいところだが、冬の雨が心の封印を切ってしまったのだろうか。

 どんな理由であれ、もしそうであれば、ある時から「昨日より明日」しか表に出さないようにしてきた私にとって今日の雨は“悲しい冬の雨”だったと言うしかなくなってしまう。

 明日が晴れることを願おう。きっと冬晴れの下なら気持ちも落ち着くだろう。いや、そうでなくては。どんより暗い空から降る冬の雨は冷たいものなんだから。
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[season12/0111/24:30]
小寒』‥寒の入り。寒中見舞い。寒気に耐えながら春を待ち望む
photograph:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa-ku
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